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河川流域の生活文化(平成6年度)

(2)渓筋の成功例を町全体に

 **さん(東宇和郡野村町白髭 昭和20年生まれ 49歳)

 ア 行政の取り組みのきっかけ

 **さん、**さんと共に渓筋の環境美化に取り組んでいる**さんは、主婦の声を直接行政に反映できる担当者として、野村町役場生活環境課に勤務している。
 「わたしたち3人グループは、廃油を利用したせっけんを作ろうということで、ここ5、6年前から個人的には活動しておりました。活動を通じて一番考えたのは、渓筋の川(稲生川)をきれいにしようということで、今でも『ふるさとの川をきれいにしよう』というテーマで取り組んでいます。
 平成4年度に、(町が)そういう小さいグループ活動に対して支援してやろうということで、『苛(か)性ソーダ(NaOH、廃油からせっけんを作る過程で加える薬品)でも支給しようか。』と言ってもらえるようになったんです。町として、もう少し補助金を出すという補助要綱的なものができ、年間20万円の補助金をもらえるようになったわけです。渓筋地区は、4~6年度と3か年指定してもらい、いろいろな活動を展開していけるようになりました。
 最初は一部の人の活動だったと思いますが、地域内のどの世帯にも会報を配布しているので、最近は、男性を含めて渓筋全体が、『自分たちの地区がモデル地区に指定された。』という意識になって、川や生活排水に対する関心の度合いも高まってきたんじゃないかと思います。
 平成6年度で指定地区からはずれますので、資金面でもおそらく苦労するようになると思います。いろんな所へ研修に行ったり参加するのにも、それだけの負担がかかってきますから、20万円の補助の有無でだいぶ違ってくると思うんです。これからは、一つのグループだけではなしに、公民館を中心に地域ぐるみで活動を展開していくような考えでおらんと、なかなか大変じゃないかな、今からが本当の勝負じゃなかろかと思います。」

 イ 渓筋の成功例を町全体に広げたい

 「これからは、生活そのものを見直さないかんようになってくると思います。生活雑排水、特に台所から出る排水が、一番川を汚していると言われておりますから、とにかく川へ汚いものを流さんようにしようということで、台所用に、目の細かいクリーンネット(メッシュ:1~2mm)を全戸に配布しました。配布後、お年寄りの方が関心を持たれて、『もう少し売ってくれんか。』という希望があったようです。それまでは、そのまま三角コーナーに移したりはしてたと思うんですが、クリーンネットを使ったら、もっと細かいゴミが取れることがわかって、今は少しずつ見直されて、自分で買ってもらっています。
 他のどこの地区でも、『渓筋は進んでいる。』という認識です。町の中心部(旧野村地区)でも、関心を持っておられる方もかなりおると思いますが、全体的な広がりという点では、渓筋に比べると今一つという感じです。ボカシにしてもせっけんにしても、かなり行き渡ったんじゃないかなという感じですが、その背景には、渓筋のグループの活動に加えて、モデル地区指定がプラスになったと考えられますので、今後は、そういうモデル地区を増やしていかないかんと思うんです。
 ありがたいことに、わたしがこういう部署に来てからも、町内あちこちの講習に、モデル地区の代表として一緒に来てもらったり、渓筋ではもちろん中心になってもらったりと、グループの仲間がいつも協力してくれるので、すごく助かっているんです。
 川に関心を持つグループが増えていくことが一番でしょうね。渓筋が成功したというのは、まず、メンバーがよかったからだなと思うんです。一人の考えじゃなしに、グループとしてどうするかということで、いろんな人が自分の立場を生かすように活動している。このためにも、指導者をどう育てていくかということも大切じゃないかと思います。
 特にこういう活動では、上からの押しつけで、すべて最初からきちっと『これでないといけない。』ということにすると、なかなかついてきてくれないと思います。
 たとえば、せっけんの普及ということにしても、消費者が選択するものであって、行政が『これを使いなさい。』とは言えんので、台所の洗剤を流したら近くの川に魚が寄らなくなったとか、合成洗剤を使って皮膚障害があったとか、せっけんを使ったら荒れよった手がよくなったとか、こういった事例から判断されるしかないと思うんです。
 だから、あまり気負わないで、自分のできるところから一つずつ取り組んでいく。一つ取り組み始めたら、関連して『そしたらこれも』ということで、ずうっと広がって行くんじゃないかと思います。」

 ウ 今後の展開

 「今は、嫁いで渓筋の最上流(白髭)に住んでいますが、生まれたのは旧野村地区内です。近くに大川(肱川本流)があったので、子供のころは、川で泳いだり河原で夏飯(なつめし)炊き(盆飯)をしたりして遊んだ思い出があります。女の子も魚を取っていました。うちの子供(現在、高校生)も、小学校の間は近くの小川を堰(せ)き止めて泳がせてたんですが、今は近所の子も川では泳ぎません。理由は、水が汚れたからどうこうではないんです。川の最上流に近いので今でも水はきれいなんですが、水量そのものが減ったことと、子供の数が減って、当番制で子供を見る者の負担が大きすぎるので、やめてしまったのです。
 今の親たちは、自分が川で遊んだ経験がありますから、もういっぺん、そういうきれいな川で、子供や孫にも泳がしたいという気持ちはあるんだろうと思います。次の世代の子供たちがまた川で遊べるように、やはり自然な川を伝えていく責任があると思います。川は、岩があったり緩急があるのが当たり前。自然に近い形の川を作っていくことを、今から本当に考えていかんとね。
 普通の川は下流ほど汚いんですが、野村の肱川沿いは、上(かみ)のほうが汚くて、下(しも)ほどきれいになる傾向が見られます。わたしは川上(かわかみ)ですから、とにかく上流の者からやっていかないといけないという気があるんです。流域の市町村が肱川について話し合う機会は、大洲市が事務局になって、年に1回会合が開かれております。今後は、一層連携を取りながら、やっていかないけんのじゃなかろうかと思います。」