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河川流域の生活文化(平成6年度)

(1)うちぬき名人

 **さん(西条市西泉 昭和11年生まれ 58歳)
 今年(平成6年)は、西日本を中心に広い地域で異常渇水に悩まされた。水の都西条でも、こんこんと湧(わ)き続けてきたうちぬき公園(口絵参照)の水が、ついに自噴を絶やすほどの厳しさとなったのである。このうちぬきは昭和60年に環境庁から「名水百選」の指定を受け、水と緑と文化を生かしたまちづくりをめざす親水都市(アクアトピア構想、建設省指定、昭和60年)西条のシンボルとして、古くから市民生活に欠かせない存在である。

【うちぬき】
 西条地方は、加茂川・中山川・室川などが運ぶ土砂によって遠浅を形成し、昔から干拓を重ねて平地を拡張してきました。この広大な地下堆積(たいせき)層中には、三河川などが涵養(かんよう)した多量の被圧(ひあつ)地下水が、流れています。
 鉄パイプの先端を加工し、根元に孔(あな)をあけたもので大地を打ち抜き地下水層に達するとひとりでに水が湧き出してきます。この自噴井を「うちぬき」と呼んでいます。
                              
                    (西条市水道課発行『うちぬき(①)』より引用)


 ア うちぬきにも、異常渇水の影響

 渇水の影響で例年以上に忙しい**さんから話を聞くことができたのは、8月の末であった。早速、話題は「水涸(か)れ」に及んだ。
 「今まではもう、西条あたりじゃったら、ひとーりーで水が湧き上がる、なんぼでもあるちゅうのが、もう常識だったもんのう。何十年とこの仕事してきたが、『水のありがたさがわかったわね。』やか言うのを聞いたんは、今年が初めてじゃろのう。
 うちぬきいうたら永久に使えるもんじゃと思とるでしょ。昔の親の代、その前の代のになると、深さもわからんけど。10年、20年たつと、うちぬきも悪うなるんですよ。ええ水でも、やっぱり水垢(あか)がついてきて、順々に穴が小さなる。昔の鉄管は32mm(直径)やけど、内側がさびと水垢で、鉛筆がすっと入っていかんくらいの丸さになってしまう。それでも、(水を)下から持ち上げるくらいな圧力があるきんね。ちょっとポンプで引っ張ってやったら水が上がってくる。
 生活用水は、ボイラーから水洗トイレまでポンプ使うとるんですよ。『このうちぬきは50年か60年たつんじゃないんだろか。』、『わしらの年代ではそれをやったのがいつか知らん。』というような古いうちぬきでも、これまでずっと出よったのに、今年になって雨が降らんかったけん使えんようになったんで、急に『やってくれ、やってくれ。』言うたって、そりゃあ1週間から10日待ちということになるでしょ。その間、お隣から水もらわないかんけんね。それで初めて『水のありがたさがわかった。』というだけのことなんよ。西条の人もちいと知ってきた。
 『渇水、渇水』言うけど、西条は地下水の水位が2、3m下がっただけで、それから下はなんぼでもあるんじゃきん。無限大にあるんじゃきん、『水涸れ』じゃないよ。高松、松山なんかは、『来てくれ、やってくれ。』いうて電話は毎日あるけど、行って掘っても元がないんじゃきん。」
 『西条市誌(②)』によれば、「飯岡地区を除いた平坦(たん)主要地区の地下100mまでの貯水量を、各地層の孔隙(こうげき)率を推定して算出すると1億6,000万t以上で、このうち可採滞水層中にある量は9,000万tに達している…」と記されており、なるほど地下水がいかに豊富であるかがわかる(参考:松山市の上水道給水量は、年間に約5,500万t。そのうち約半分が地下水でまかなわれている。)。

 イ よりよい水はより深く

 「市役所も『井戸は深めにしましょう。深井戸の方が水質はええですよ。』と言うように、今やるお客さんは『深めにしてくれ。』言うようになって、浅いと怒られることはあっても深過ぎたというて怒られることはないですよ。昔は5mくらいで(水を)取ったとしたら、次は10m、うちらの時代になってくるともうはや16m、20mと(鉄管を)入れてくるけんねえ。
 ただ、浅くて出んなったというわけでもないんですよ。昔は機械力もないし、道具もそもそこらも深う掘るようになったね。
 下へ行く(深く掘る)ほど、第一に濾(ろ)過されるけんええ水が出るわいね。それに、浅いとこの水温は気温と同じように変化するが、土地の底20mもを流れる水は年中水温が変わらんけん、飲んでもちみたい(冷たい)、おいしい。
 ほんだら、よそでもそうしたらええかいうたら、よそではできんわけなんじゃ。西条だからできる。というのは、西条の地下水がおるのは砂利層で、30mくらいまでの所に水の層と水を通さん粘土層や砂の細かい層が、何層にもなっておるんですよ。」
 以前に比べて深く掘るようになったといううちぬきの標準的な作業工程は、朝仕事に行って、掘るのにだいたい半日、ポンプにつないで夕方まで洗浄したら、「晩げには使えるはず。」という。
 「こないだ掘ったんは15間(けん)(30m)近く。地下水が一番よけ(多く)流れよる所は砂利が荒い。厚さはだいたい2~3mくらい。水が出るとこの層へ、穴のあいとるストレーナー(写真4-2-1参照)というやつを合わしていくんよ。パイプが入っていく音聞いたら、固さがわかるけんね。2、3日いっしょに来たらわからい。その音で、今は砂利行きよるとか、粘土行きよるとか、だいたいわかるけんね。これをがいよう合わしとかんことにはいかんのんよ。水に行ったけんいうてすぐやめてもんてきたら、いつまでも砂が出て飲めんのよ。昔は、打ち込み過ぎてジャッキで抜くこともあったけど、今はないねえ。
 昔は、1か月も2か月も砂が出続けたり、『初めの間は砂が出よるけんど、しまいには出んようになるけんの。』言うて帰ってこれよったんじゃ。今なんかだったら、そんなことしたって、どこっちゃ受け取ってくれんですよ。砂が出たいうたら、商売にやかならんよ。」

 ウ うちぬき名人の技

 「西条の人は、子供でもおせ(大人)でも皆、うちぬきには関心があると思うんよ。仕事やりかけたら、『うちぬき、うちぬき』言うて近所の人が大勢見に来て、『ああ出た。』『出ん。』じゃ、『深い。』『浅い。』じゃ言うて、人だかりがするくらい人間が寄ってきたりしよったわいねえ。田んぼへ行きゃあ、どんどん水が出よるのを『うちぬきじゃあ。』言うて飲めるしねえ。」
 こうした環境の中で育った**さんが、うちぬきの仕事に就いたのは30歳を過ぎたころで、それまでは、農業の傍ら時々手伝ったりしていた程度だという。当時は大がかりな設備は必要でなく、うちぬきをする人も多かったようで、今でもそのころの道具を持っている人はかなりの数になるらしい。**さんは、「西条にも、昔、名人という人もおったし、神さんじゃという人もおったらしい。『きんやん』いう人なんかも、うちぬきの神さんじゃいう仕事をしよったらしい。」と語る。そんな先人たちの所へ手伝いに行っては技術を身に付け、「どのくらいで水はおりますか。」と尋ねながら水脈の知識も頭に入れてきた。
 「まだ鉄管がない時分には、竹でやってひしゃくで汲(く)んで取ったり、それから進んで手押しポンプでガッチャガッチャという時代が来た。終戦後、手押しポンプがはやってねえ。景気がようなってきてから、今度は家庭用のポンプに変わってきたんじゃけど。自分もこうした流れを踏んできとると思うよ。
 先輩方の人ともよう話すんじゃけど、やっぱり深さが違うわけなんよ。前の人がやってきた深さは、人力で大がかりなことはできん。今はもう機械でやるけんねえ。それも、最初は10mくらいまでやるような機械、それから20mも30mもいけるような機械を設備するようになってくると、めったにうちぬきをせん人は、機械代が取れんようになるんで、だんだん仕事が分担化されてきて、水源はおまえとこにというようになってきて、残った思うんです。」
 こうして、今では、西は松山から東は宇摩郡土居町までを手掛け、「この近辺じゃったらどこへ行っても、『そこから見渡せる範囲で仕事したことない。』というとこ(所)はないね。」という。西条屈指の水源開発会社としての地位を確立した**さんに、名人技について聞かせてもらった。
 「だいたいの家に、うちぬきはあるんよ。なけりゃ生活できんのに。ただし、西条市がうちぬきじゃけんいうたって、全域でうちぬきが出るというんじゃないんですよ。これが境でこっちはうちぬきが出るけどあっちは出んというような所は、西条の街にでもなんぼでもあるわけよ。
 自分で(独立して仕事を)やりかけた時は、苦労はしたわいねえ。家1軒、いや同じ敷地内でも全然ちがうんじゃきん。ここが10m掘ったら出たけん隣も10mで出るとは限らんのんじゃ。とにかく、初めの10年くらいの間は相当あずった(てこずった)ねえ。
 自噴するとことせんとこの境目はね、昔地下水の層が沈下して断層ができたか地割れしたかで、その間へ砂や泥が流れ込んで詰まってしもて、加茂川の水はどんどん流れ込んでくるのにその層で遮断されるんで、地面に穴をあけたら水圧がかかっとる分だけプーッとレベルまで吹き上がってくるんですよ。ようわからんのじゃけど、水の出ん幅は4~5mじゃないかと思うんよ。
 電話で仕事頼まれるでしょ。住所聞いただけで、どのくらい掘ったらええかはわかりますけんね。ほして、現場へ行くでしょ。敷地の都合で『ここ掘ってくれ。』言われても、『ここは、なんぼ掘っても出ませんよ。こっちの隅のほうやったら出ますよ。』いうて掘ったらなんぼでも(水が)おるんじゃけんね。掘った後で『ああでした、こうでした。』じゃなくて、掘る前にそれがわかっとるんよ。」
 「頭の中に地下水脈の地図が入っているんですね。」と問い掛けると、大きくうなずいて、「要は、土地の底にもね、何重にも加茂川が流れとるのと同じなんよ。苦労してきたけんね、よう忘れんのんよ。」と言って、笑みをもらした。

 エ 西条の地下水とその変化

 「大雨が降ったら、地下水に変動があるけんね。大雨が降ったときは、その地下水がダーッと出る。西条の水はたまってないんじゃけんの。沖へ抜けよんじゃけんの。加茂川からはまった水は、抜けんかったら町じゅう水浸しになるわい。ほいじゃきん、抜けていくときに流れが速いわけなんじゃ。この地下水の流れいうたら、武丈(ぶじょう)でしみこんだ水は一晩のうちに禎瑞(ていずい)まで行くんじゃけんの。ほんだけの速度で流れよんじゃきん、水いうのは相当あるよ。」
 地下水の流速について詳しく尋ねると、『日本地下水考(③)』という1冊の本を見せてくれた。それによれば、1955年に「伏流の流速を求める大規模調査」が加茂川で実施されており、その時の記録では、速い所で200~300m/h、遅い所でも25~30m/h 、概略30~60m/h程度の速さで流動すると結論している。
 その水の勢いが最近衰えてきたのを感じると、**さんは語る。
 「昔はねえ、西条の商店街でも、みな水がどーど一出よったんじゃけど、今はもう出んようになった。水の吹き上がる量が減ったのは、(黒瀬)ダムをやったころがだいたい境じゃねえ。そのころから水も減ったし、うちぬきの出る範囲もごっと狭なった。
 たぶん、ダムが堰(せ)き止めたからというよりも、ダムエ事で流した泥が砂利の間へ入って目詰まりするんじゃと思うんよ。例えば、加茂川の土手の下の家。河原の水は屋根より上を流れよんじゃけんど、5mも6mも掘らんかったら水はないよ。ダムに限らんが、大きな工事をやると、土地の中が目詰まりしてきとるし、地下水の流れも水圧も、それが原因で弱ってきとる。それが証拠にねえ、市役所が加茂川をユンボ(ショベルカー)で4m幅に2mくらい掘ったんじゃ。それへ一杯水流し込んだらの、ある程度まで流れたらギューッと吸い込んでないなるんじゃけんの。ほいで、一晩もせん間に花園町あたりの止まっとった自噴水が全部吹き上がってきたんじゃ。
 昔は河原の砂利を土木の人が取りよったんよ。考えようによっては、あれで表面の目詰まりが自然に取られよったとも言えるし。」と語り、少し複雑な表情になった。

 オ 水の都への思い

 「西条の水は本当に恵まれとると思うよ。出んようになるとは、思ってない。仮に上水道が普及してきても、そっちの水は庭木にやって、うちぬきを飲料水にするんじゃなかろか。それだけ最適の水が出るけんね(参考:全家庭数の97%が地下水を利用している。)。
 それにしても、西条の人らは水のありがたさとかの感覚はないね。現実に、今のところは水もあるけんね。うちぬきの自噴水やかなんぼでも飛ばしとんじゃけん。
 これまでは、時代ごとにだんだん深う掘ってきたけど、もう、次の代でもこれ以上深くはならないというところまできとるね。だいたい調べてみて、一番深う掘ったのが20間(40m)くらいじゃけど、それより下には水はないねえ。
 けどね、将来ポンプが変わってくるということはあるかもわからんよ。加茂川の表を流れよる水が11号線(国道)の所(加茂川橋)まで来とったら、禎瑞とか古川とかのうちぬきはみなどんどん出よって飛ばしてあらいねえ。ところが上流のメロディー橋(伊曽の橋)までしか水がないと、出よる勢いが半分になるんよ。メロディー橋を越して(もっと上流の)お伊曽さん(伊曽乃神社)の一銭橋までだったら、田んぼの自噴水が出んようになるんじゃけんね。ということは、余っとるように見える川の水じゃきんいうて無駄にしよったら、水位が下かって、今までの浅井戸用のポンプでは汲めんようになって強力な水中ポンプが要るようになるかもしれんわけよ。
 加茂川を水が流れよるけん地下水があるんで、加茂川を止めてしもて水流さんようにしたら、西条の地下水いうのはないようになるよ。」

 うちぬきの将来像をこう語る**さんの信条は、「うちがやって、よっしゃ言うたらええもんじゃと100%信頼されるよう、完璧なもんを自信をもって引き渡す」ことである。この信条は、地質調査が本業だったという息子さんによって、うちぬきの技術とともに脈々と受け継がれている。

写真4-2-1 ストレーナー

写真4-2-1 ストレーナー

平成6年8月撮影