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河川流域の生活文化(平成6年度)

3 谷筋がむすぶくらし

 この項では、肱川と四万十川において、1支流域で1村を形成していた旧村(戦後の町村合併前)について、調査した。このような旧村は、喜多郡では上須戒(かみすがい)村(土須戒川)・柳沢(やなぎさわ)村(矢落(やおち)川)・満穂村(麓(ふもと)川)・御祓(みそぎ)村(御祓川)・河辺村(河辺川)、東宇和郡では田之筋(たのすじ)村(岩瀬(いわせ)川)・渓筋(たにすじ)村(稲生(いのう)川)・中筋(なかすじ)村(富野川(とみのかわ))・惣川(そうがわ)村(船戸(ふなと)川)・遊子川(ゆすかわ)村(野井川(のいがわ))・魚成(うおなし)村(魚成川)、北宇和郡では愛治(あいじ)村(大宿(おおじゅく)川)と、数多くあった(巻末資料河川一覧参照)。このような旧村は、県内の他の大河川(仁淀川(によどがわ)、重信川)でも多かった。これらは、藩政時代の数村が合併してできた村であるが、川の流れに沿って集落が形成されており、水利権等の問題もあって、昔からの深いつながりの上に形成されたのであろう。また、支流域の多くは山間部で、他の地域との交通が遮断されているため、村名にもあるような、(谷)筋ごとに独自の生活圏を形づくっていたと考えられる。ここでは、東宇和郡、北宇和郡、喜多郡の各旧村の中で、特に支流が長い稲生川、大宿川、麓川沿いの3村を調査した。なお、遊子川村・魚成村については、平成5年度報告書「県境山間部の生活文化」の「城川町の茶堂と峠」の中で、また、河辺村・満穂村については、前項の2で述べているので参照されたい。