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河川流域の生活文化(平成6年度)

(2)アマゴの里づくり

 **さんは「あまごの里」づくりの経緯について次のように話された。「養殖が軌道に乗ってきたころ、長男は大阪のガス会社に就職し、大阪で大分の人と結婚した。長男からは大阪で一緒に生活しようと言ってくれたが、河辺は空気は良いし、水はきれいだし、ここで魚を飼う方がよいと大阪に行くことを断った。長男からは河辺で生活ができるのかと言うから、養殖を始めてからの収支の記帳を長男のもとに送って、夫婦子供の生活は今の仕事(養殖)で十分できること、逆に、河辺に帰って養殖を始めてはどうか、と言ってやった。長男が帰郷するというので、今までより規模を拡大する必要があり、昭和51年(1976年)『あまごの里』を作ったのです。
 『あまごの里』にはマスの釣り堀と食堂、それにアマゴやイワナの加工場があります。開店当時は、山里の『あまごの里』が珍しいこともあって、河辺の道路はまだ舗装されていなかったし、道幅も狭かったにもかかわらず、松山や八幡浜方面から車でどんどん田舎料理を食べに来てくれました。お陰様で料理の注文に待っていただくほどの盛況でした。
 今でもわざわざ新鮮なアマゴの塩焼きやマスの刺身が食べたいとお客が来てくれます。また、マス釣りに子供連れて来るお客もいます。」現在「あまごの里」の養殖場を含めて、アマゴが7万匹、イワナ1万匹、マス1万匹の成魚と、アマゴ15万匹、イワナ5万匹、マス5万匹の稚魚が養殖されている。
 河辺村は近年、「龍馬脱藩の道」を村の活陸化の一つの方策として種々のイベントを開いている。あまごの里も、河辺村にくる人々の受け皿として、若い後継者夫婦が村の活性化のために懸命に努力している姿は頼もしい限りである。