データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

身近な「地域のたからもの」発見-県民のための地域学入門-(平成22年度)

3 えひめの住-隠居して別棟に住む-

 家の主人が年を取って、家の実権を子どもに譲り隠居(いんきょ)するということは、県内全域でひろく行われていた。かつて南予地方では、子ども夫婦がオモヤ(母屋)に住んで、隠居した親夫婦は別棟のヘヤ(母屋より小さな家)に別居するのが一般的であった。これに対して東予地方では、隠居した親夫婦と子ども夫婦が一つ屋根の下で暮らす同居が一般的とされていた。
 『愛媛のくらし』の中で、東(ひがし)宇(う)和(わ)郡城川(しろかわ)町(現西(せい)予(よ)市)の**さん(昭和8年生まれ)は、隠居について次のように語る。
 「隠居する年齢については、ある程度の目安はあったと思うが、何歳になったらというようなことではなかったと思います。隠居する大きな理由は、『わしも年を取り、仕事も大儀になった。若いお前らに任せたい。』というようなことだったと思います。一方、若い者(後継ぎ、特に長男)も小さい時から家族の中での位置付けがはっきりしており、後継ぎとして育てられていて、自覚ができているので、多少の不満はあったとしても、おやじの言うことに従って、一家の中心としての責任を果たすことになったのです。
 家の実権を譲って隠居した親は別棟のヘヤに移り、オモヤには後を継いだ息子とその家族が住むことになります。同じ屋敷内で親子別居の生活が始まるのです。その際、新たにヘヤを建てて住むか、もともと建っていたヘヤに入るかのどちらかですが、すでに建っているヘヤに移る場合、そこに先代の隠居がまだ住んでいれば、一緒に住むのが一般的でした(写真3-3-4参照)。城川町の高川(たかがわ)地区では、隠居の年齢が低く、次の隠居ができると先代の隠居がヘヤを出て別の隠居所(閑居(かんきょ)という)に移ったという話がありますが、この3世代別居というのはめずらしい事例だと思います。
 しかし、以前に比べると少なくなりました。隠居制というのは、子ども(主として長男)が家を継ぎ、親の面倒をみるという社会の中で続いてきた慣行だと思います。親子が近く(同じ屋敷内)に住んでいて、互いに助け合っている姿を見るとうらやましく思うし、また、そのような家には何か安定感があるように思われるのです。」
 また、『愛媛のくらし』の中で、宇(う)和(わ)島(じま)市石(こく)応(ぼ)生まれの**さん(昭和4年生まれ)は次のように語る。
 「石応辺りでは、60歳くらいまでに家を譲ります。後継ぎが嫁をもらうと、『おらもぼちぼち隠居するんよ。』と言い、孫でもでき、嫁も落ち着いたと思ったら実際に家を譲り、遅くても還暦(数え年61歳)までには隠居するというのがこの辺りの慣習です。
 家の実権を譲ると住まいを交替します。オモヤとヘヤが別棟になっている家では、後継ぎの息子が結婚するとまずヘヤに住み、家を譲られるとオモヤ(本宅)に戻り、隠居した親がヘヤに入ります。別棟ではなくて同じ家の中に隠居部屋を設けている場合は、互いに部屋(寝間)を交替することになります。どちらかというと隠居部屋のある家の方が多く、同じ屋根の下で隠居するという人が多い。
 しかし、一つ屋根の下に住んでいても、『自分は隠居した身である。』『おれは家を譲られたのだ。』という意識がそれぞれにあると思う。ですから地域の総会などでも後継ぎが出席するし、何か協議して決める際にも『おらは隠居よ。おらではわからん。若い者に聞いてくれや。』ということになります。食事については、同じ家の中で隠居している場合はもちろん、オモヤとヘヤとに別れて住んでいる場合も大体一緒にしている家が多いようです。」
 このように、時代の変化もあって、隠居したら別棟に住まいを入れ替わることが普通であった南予地方でも、そのような慣習がなくなりつつあることがわかる。

写真3-3-4 西予市城川町のヘヤとオモヤ

写真3-3-4 西予市城川町のヘヤとオモヤ

中央四棟のうち、左端がヘヤ、その右隣がオモヤ。西予市城川町。平成22年9月撮影