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身近な「地域のたからもの」発見-県民のための地域学入門-(平成22年度)

1 地域を歩く

 松山(まつやま)市上(うえ)野(の)町(まち)にある愛媛県生涯学習センターの周辺を歩きながら、道端にあるものや周囲の建物などを観察すると、遍(へん)路(ろ)にかかわるものがいくつもあることに気づきます。
 例えば、愛媛県生涯学習センター第1駐車場の北側に隣接する市道(久(く)谷(たに)32号線・110号線)を東へ約1km進むと御(み)坂(さか)川に出合い、川にかかる大正橋を渡って一つ目の角を左に曲がり、倉庫や事務所の間を通る道を70mほど進むと十字路の東北角に「左へんろみち」と刻まれた道標(どうひょう)があります。そのまま道標に従って田んぼ道を北へ100mほど歩くと、道の左側に「四国霊場遍路開祖衛門三郎札始大師堂」の石碑が立ち、その少し奥に大(だい)師(し)堂があります(写真2-1-1参照)。堂内に置かれてある「小(こ)村(むら)大師堂の縁起」によれば、この大師堂は、もと伊予国荏(え)原(ばら)の郷(現在の松山市恵(え)原(ばら)町とその周辺一帯の地名)に住む富豪で、四国遍路の開祖とも称される衛(え)門(もん)三(さぶ)郎(ろう)(右衛(え)門(もん)三郎(さぶろう)とも書く)が、弘法大師の帰来を待って一夜を過ごし、大師の跡をたずねる旅路についた草庵のあったとされる場所に建てられたものです。
 それから、来た道を戻り、市道(久谷110号線)を西に向かいながら大正橋を渡って約200m進み、県道194号(久谷森松停車場線)との交差点を左に折れ、県道194号を南へ200mばかり進むと、道路の左脇(わき)に道標があります(写真2-1-3参照)。道標の南面部分には、「左 松山道」の文字が彫(ほ)られ、東面部分には、「手印」とともに「道後 西林寺」の文字や「八十八度目為供養」、「周防国大嶋郡椋野村 行者 中務茂兵衛建之」などの文字が刻まれています。
 それから、この道標を左後ろに見ながら県道194号を約600m南進し、市道(久谷39号線)との交差点を右折して市道を300mほど西に進むと、道路の右方向の民家や田んぼの中に、いくつかの小高い塚(つか)が、ほぼ南北方向にわたり点在しているのが見えてきます(写真2-1-4参照)。その中で一番南側に位置する塚の近くには、塚についての説明板が立てられています。それによれば、これらの塚は松山市指定史跡の八(や)ツ(つ)塚(づか)群(ぐん)集(しゅう)古(こ)墳(ふん)とよばれ、いずれも古墳時代終末ころの円墳や方墳だと考えられており、円墳は直径約7~14m、方墳は一辺10mをやや超える程度で、墳丘高はいずれも約1.5~3.5mの規模です。また、説明板には、この八つの塚が衛門三郎の八人の子どもの墓とも伝えられていることが書かれており、それぞれの塚の頂(いただき)には小さな祠(ほこら)が置かれ、石地蔵がまつられています。
 それから、再び県道194号に戻って200mばかり南に進むと、道路の右側に番外札所の文殊院(もんじゅいん)があります(写真2-1-5参照)。
 門前の案内板には、「四国遍路開祖 文殊院」とあり、衛門三郎ゆかりの四国八十八箇所発(はっ)祥(しょう)の寺院であることが書かれています。

写真2-1-1 札始大師堂

写真2-1-1 札始大師堂

松山市小村町。平成22年12月撮影

写真2-1-3 道標

写真2-1-3 道標

松山市上野町。平成23年2月撮影

写真2-1-4 八ツ塚群集古墳

写真2-1-4 八ツ塚群集古墳

松山市恵原町。平成22年12月撮影

写真2-1-5 番外札所文殊院

写真2-1-5 番外札所文殊院

松山市恵原町。平成23年2月撮影