データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

県境山間部の生活文化(平成5年度)

(1)高市集落の今昔

 広田村立高市小学校の「平成5年度学校要覧」を手にすると、表紙には学校の全景写真と校歌が載っている。写真をよく見ると、山を背に校舎と体育館が並び、その右隣に風変わりな形の建物がある。その前の物干し竿にはたくさんの敷布団が干され、掲揚ポールにはコイノボリが泳いでいる。要覧裏面の校舎配置図によると、屋内運動場の右側に「山村留学センター」と記されている。表紙の写真に写っている「敷布団とコイノボリ」の建物が、その「山村留学センター」である(口絵参照)。
 学級数4、児童数33、職員数9のこの小学校は、「沿革」の1行目に「明治5年、高市村(その後合併して広田村に)に篁(たかむら)小学校創設」と記されており、わが国に「学制」が布かれると同時に開校した、伝統ある学校である。校歌の3番の歌詞には「永久に栄ゆる 山々つづき…」とあり、山々がこのあたりの人々に恵みをもたらし、かつてはにぎわいを見せていたことを偲(しの)ばせる。
 児童数・学級編成の項を見ると「複式、1・2年、3・4年、単式、5年、6年」と記されている。昭和22年(1947年)度には151人だった児童数も、60年度12人、61年度9人、62年度7人、63年度6人、平成元年度6人、2年度4人、3年度4人と推移し、過疎地の学校らしい数字が並んでいる。最近の沿革を見ても、「昭和63年、本年度2年ぶりに新入生2名、入学式を行う」、さらに平成2年とその2年後の平成4年にも、それぞれ「本年度2年ぶりに新入生1名、入学式を行う」と書いてあり、入学者が隔年ごとにしかいない状態であったことがわかる。
 ところが、一桁だった児童数は、平成4年度に32人、そして今年度は33人と、急に増えている。しかも、およそ小学校の要覧では見かけない「児童の出身地」という項目があり、そこには集落名ではなく県名が記されている。「愛媛県22(内地元児童6)、沖縄県2、香川県1、徳島県1、大阪府1、京都府1、愛知県2、東京都3」。地元の児童がわずか6人に対して、地元以外が27人、そのうち県外からが11人と多数を占めている。
 広田村で始まった、過疎化対策の壮大な実験ともいえる「山村留学制度」は、好評のうちに2年目を迎えている。

   〇山村留学制度
    昭和51年(1976年)、財団法人「育てる会」(本部・東京)が長野県北安曇(あずみ)郡八坂村で始めたのが最初。会
   によると、1980年代半ばから急増し、昨年度は全国で小学校69校(受け入れ399人)、中学校20校(同127人)が実
   施。自然の中での生活体験が目的で始められたが、最近は過疎対策で行う地域が大半。
                                    (平成5年7月11日付、毎日新聞記事より)