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県境山間部の生活文化(平成5年度)

(1)病気を診るんじゃなくて、患者さんを診る

 ア 1年のつもりが、もう12年

 小田病院の受付で来訪を告げると、「**院長先生でしたら、この病院の裏側にある『緑風荘』でお待ちしておりますので、そちらに行ってみてください。」と言われ、隣接する新しい建物へ向かった。
 三角の塔屋をもつベージュ色のこの建物は、隣の病院とは廊下でつながっており、1階に特別養護老人ホーム「緑風荘」、2階に老人保健施設「ふじの園」が入る複合施設として、今年4月にオープンしたばかりである。車寄せから見ると、正面全体がガラス貼りで、どこから入るのか一瞬とまどう。中央にある自動ドアの部分を除いて、イチョウの葉をあしらった大きなシールが貼ってある。どうやら、うっかりガラスに体当たりした人でもいるのだろう。途中の山道で見たイチョウがまぶたによみがえった。扉の中はまるでホテルのロビーのようで、こんなに広々としていて明るいところが、本当に「老人ホーム」の入り口なのかと驚きながら、第1歩を踏み入れた(写真3-2-12参照)。
 小田病院院長である**さんは、岡山県出身で、岡山大学医学部を卒業後、丸亀、福山、岡山、神戸と都市部の大きな病院を中心に外科医として勤務してきた。昭和54年(1979年)、集中治療にも興味を持っていた**さんは、母校の先生から「愛大の中央手術部に行ってみないか。」と声をかけられて、愛媛県にやってきた。その後、先代の院長が独立開業のため後任をさがしていた矢先、岡山大学の同門でたまたま愛媛にいた**さんに白羽の矢を当て、「都合がいいから、お前行け。」と言われて、引き受けることにしたという。

 本来こんなに長くなると思ってなかったんですがね。前任者は「半年行ってくれえや。」と言われて6年、私は「半年でええんですか?」「せめてまあ1年おってくれや。」で、12年になりました。ある時期までは、出たいと思ってた…。自分自身、都会で育った人間ですし。ここのみんなと力を合わせてやっている自分と、再び都会に戻って一外科医として仕事をする自分を比べると、果たしてどちらが喜ばれるだろうかと考えたんです。家内も麻酔科の医者で今は松山にいますが、「あんたどうする気か?」と尋ねられ、私の気持ちを説明すると、「自分の好きにしたらいい。」と言ってくれ、ここにおって少しでも喜んでもらえる方を選択したんです。ですから、最初から「地域医療」に情熱を燃やしていたというわけではないんです。ここに来て、現実を見る中で、徐々に変わってきたというのが、正直なところです。

 イ 医療の本質は、都会も田舎も変わらないはずだ

 現実には、過疎地域が医者を引き付けようとするのは、なかなか大変なところがありましてね。ほとんどの医者が、都会志向であることに変わりはない。本人だけでなく、子供の教育のこと、生活の便利さなど、奥さんや家族も「都会がいい。」ということになるんです。
 「へき地医療」と言いますが、医療の本質というのは、都会も田舎も異質なものではないと思うんです。医療設備は、どんどん新しい機器の投入で、形態的にはそれほどの差がないように変わってきています。「高度先進医療」といっても、基本的な原点は同じものであるはずです。
 えてして、医者が専門化してスペシャリストになればなるだけ、医者の興味が患者さんではなく、より病気の方へとシフトしてしまう、そういう傾向があります。でもそれが果たしていいことなのかどうなのか?「病気を診るんじゃなくて、患者さんを診る。」という見方が、医者にとって一番必要なんじゃないかと、最近特にそう思います。
 いわゆる「へき地」が医者自身の育った場所でない限り、「何をもって自分の生きがいとするか。」という医者の人生観にかかってくると思うんです。医者の、いわゆる『赤ひげ』的なところで負うだけでいいのか、良い先生にそこで定着してもらうには何が必要か、などを考えてみますとね、医者のものの考え方が大きく投影されてくると思いますよ。

 医療のレベルというのは、望んだら際限ない。たとえば「小田よりは松山の方がいいはず」、「松山よりは東京」、「東京よりもニューヨーク」…。このことについて、**さんに尋ねると、明快な答えが返ってきた。

 最近話題の医療問題としては臓器移植があるけど、「日本でダメなら外国へ」というのは、モラルの問題から考えてもどうなんでしょうか。私たちは、もちろん医療の質を高める努力をしていますが、どうしても限界というのがあります。ですから、患者さんに対して、「うちはこのレベルのサービスしかできません。これで満足していただけますか?」ということで限界を正直に示し、患者さんに支持されるかどうかを見極めるしかないんです。
 患者さんに対して、「お前はここにおるんだから、これで満足せい。」と言って医者があぐらをかくのではありませんが、患者さんの方で「どこをもって『十分』の線を引くか。」という考えをもったほうが、人は幸せではないかと思います。

写真3-2-12 モダンな建物「緑風荘」「ふじの園」

写真3-2-12 モダンな建物「緑風荘」「ふじの園」

平成5年11月撮影