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県境山間部の生活文化(平成5年度)

(1)山間地農業の特色

 四国山地に抱かれた上浮穴郡は、総面積72,372haのうち、およそ90%までを森林面積で占めている林業地帯であるということは前項で述べた。それだけに耕地面積は少なく、郡内農家の一戸平均面積は77.4aと県平均の93.7aに比べてかなり開きがある(1990年農林業センサス)。その耕地の少ない分だけ林業を兼ねた農家が多く、いわゆる農林業の複合経営地帯といえる。
 1項で述べたように、かつて自給自足の道を歩んでいた焼畑農耕当時には、広い土地面積を利用して、トウモロコシ・ヒエ・アワ・ソバなどを作り、明治の中期からは商品作物としてのミツマタ栽培が進められるなど、その土地条件を生かした生産の仕組みや人々のくらしが、県境山間部の各地域であった。
 仁淀川の上流である久万川流域とその支流及び小田川流域に拓(ひら)かれた耕地には、比較的ゆるやかな水田地帯が広がり、黒ボク(火山灰土)のよく肥えた土壌が多い。久万地方では、標高400~800mに位置する中山間地帯の農業を「準高冷地農業」と呼び、松山地方の平坦地農業と分類しているのは、山間地特有の気象条件によるもので、年間の平均気温が松山よりも3.7℃低く、とくに夏季に多い降水量や、降雪期間、降霜などの立地条件が独特の農業を生み出しているからである。
 松山市などの道後平野に比べて夏が涼しく、とくに夜の気温が下がる温度条件は、質の良い野菜作りには欠くことのできない要素であり、戦後の食糧事情が好転した昭和25~26年ころから始まったダイコン・キャベツの本格的な生産は、「久万山の高原野菜」として高い評価を受けてきた。さらに、昭和45年から、米の減反政策に伴う転換作物として試作した夏秋取りのトマトが、予想以上に良い成績をあげたことから、阪神市場を対象にしたトマトの産地作りが進められ、全国でもトップクラスの優れた産地に発展してきている。