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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅱ-伊方町-(平成23年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第3節 三机の町並み

 三机(みつくえ)の町は、佐田岬半島の伊予灘側で最大の港町である。三机湾の入り江の北西側に、須賀(すが)の森(もり)と呼ばれる砂嘴(さし)が南に延びて天然の防波堤になって、北西風を避けるための風待ちの良港であった。江戸時代には、宇和島(うわじま)藩や九州の大名が参勤交代の際に寄港する港となり、大名が宿泊・休憩する御仮屋(おかりや)や番所が設けられた。幕末には、長州(ちょうしゅう)征討の際、宇和島藩が三机まで進軍して待機するなど、宇和島藩の瀬戸内海側の要地であった。
 明治から昭和にかけては、伊予灘漁場の豊かな漁業資源を背景に漁業が盛んであった。明治30年(1897年)には、隔日で三津浜(みつはま)(松山市)と三机を結ぶ汽船が就航し、明治40年(1907年)からは毎日運航している。昭和10年代には、海軍特殊潜航艇の訓練が行われ、戦後の昭和41年(1966年)になって「九軍神(きゅうぐんしん)」の慰霊塔が建立された。
 昭和31年(1956年)、三机村は西隣の四ツ浜村と合併して瀬戸町となり、三机に役場が置かれた。昭和54年(1979年)には、三机の町の南東の埋立地に役場が移転した。
 三机の町並みについて、Aさん(昭和11年生まれ)、Bさん(昭和13年生まれ)、Cさん(昭和30年生まれ)から話を聞いた。