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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅰ-伊予市-(平成23年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1章 ヤマのにぎわいとくらし

 伊予市中山町(なかやまちょう)は、緑豊かな山あいの町である。険しい山並みの谷間や中腹のあちこちに集落が点在し、傾斜地での農林業を主体にして人々は生活してきた。
 江戸時代には、松山と大洲を結ぶ街道の宿場町(しゅくばまち)となった中山町泉町(いずみまち)の町並みが形成され、中山川沿いを南北に結ぶ街道と、砥部(とべ)と永木(ながき)を結ぶ東西の道の結節点として栄えた。
 当時の中山地区は、喜多(きた)郡中山村、下浮穴(しもうけな)郡出淵(いずぶち)村、佐礼谷(されだに)村の三つに分かれており、平野部の村と比べると面積が広い村で、村内の小集落が生活の単位であったと考えられる。明治22年(1889年)、中山村は喜多郡から下浮穴郡に編入されたが、3か村は合併することなくそのまま、町村制による3か村になった。明治40年(1907年)に中山村と出淵村とが合併し、大正14年(1925年)に中山町になった。昭和4年(1929年)に広田(ひろた)村の栗田(くりだ)地区を中山町に編入し、昭和30年(1955年)、佐礼谷村と合併した。当時は町の人口が1万人を超え、町の中心である泉町がにぎわっていた。
 この章では、かつて町内に点在していた鉱山での労働や生活、炭焼きと栗づくり、さらに町内各地で行われていた伝統的な手工業品の生産などについて、地元の方々とともに聞き取り調査を行い、山間地域で暮らす人々のくらしを探った。