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えひめ、昭和の街かど-生活を支えたあの店、あの仕事-(平成21年度)

(2)子どもたちの楽しみ

 ア 紙芝居

 **さんや**さんが紙芝居について話す。
 「昭和30年代前半には、紙芝居が町内で行われていました。紙芝居が来た時は、子どもたちはみんな走って行きました。紙芝居の前に練り飴(あめ)を売ってくれます。お金を持ってきた子が4、5人、飴を買っていました。飴を売り終わると紙芝居をしてくれるのです。飴を買わないで、ただで紙芝居を見ている子もいました。
 紙芝居をしていたのは、戦争で疎開してきて上灘5丁目に住んでいた人でした。毎週2回、上灘の中をあちこち回って紙芝居をしていたように思います。テレビが家庭に入ってからは、見なくなりました。」

 イ 子ども会の活動

 **さんは子ども会について次のように話す。
 「上灘灘町には『土曜会』という子ども会がありました。小学生と中学生が会員で、土曜日の午後、野球やチャンバラごっこ、戦争ごっこをして遊んだり、夜、会長の家に集まり、肝(きも)試しやおしゃべりをしたりする会でした。中学を卒業するとやめました。」
 昭和28年の「上灘町文化広報」第26号によると、土曜会は昭和7年(1932年)11月に西岡重幸さんらが作った。土曜会には会則があり、体育部、文芸部、弁論部、音楽部などが設けられ、各部に委員が2名いて計画的に活動していた。土曜会のほか、上灘には駅前子ども会、なかよし会、若草子ども会などが組織されていたという。なかよし会で活動した**さんは、次のように話す。
 「土曜会は上灘灘町3丁目・4丁目と2丁目の一部の子どもたちで構成されていましたが、なかよし会は1丁目・5丁目と2丁目の一部の子どもたちで組織されていました。なかよし会では毎週1回、若松屋(図表3-2-3のス)でレクレーションをするほか、お祭りや盆踊り、海岸清掃など地域行事に参加したり、スポーツ大会や野外キャンプ、夏休み勉強会などの活動をしたりしていました。昭和33年(1958年)の双海ソフトボール大会で、なかよし会のシャークスNSチームが優勝した時の記念写真を今も大切にしています。」