データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、昭和の街かど-生活を支えたあの店、あの仕事-(平成21年度)

(2)親子で散髪屋を営む

 ア ミカン山との兼業

 「父と2人で散髪屋をやったのは昭和45年(1970年)ころまでです。普段は私が山仕事に出て、散髪は父がしていました。昭和30年代まではミカンの景気が良かったからです。昭和20年代は特別良かったので、各農家は人を雇ってミカン作りをしていました。うちも島根県の若い人を1人雇いました。人を雇っても十分に採算が取れたのです。ミカンの景気が良かったのは、昭和35、36年くらいまでです。うちのミカン山は3か所ありますが、島を一周する道路がない時代は、畑のある島の裏まで船で行きました(岡村島周回道路は、昭和47年〔1972年〕完成。)。昭和30年代の最盛期に比べると、現在ミカン農家は3割くらいに減少しました。ミカン農家も高齢化が進み、若い人でも70歳くらいになっています。」

 イ 父を超える

 「父とは長く一緒に理容師をしましたが、技術面で父を追い越したと感じたのは、やり始めて10年くらいたってからでしょうか。昭和30年代に入ったころです。小さいときから父の姿を見て、自然にその技術を身に付けられたことは幸せでした。職人さんの世界で親の後を継いだ方は、私と似たような感じじゃないでしょうか。
 しかし一番怖かったのは赤ちゃんの散髪です。お宮参りで生後1か月の赤ちゃんが来ることもありました。散髪はお母さんが抱いてよく寝ているときでないとできません。起きているときは危ないのです。散髪中に起きて泣き出したので、途中でやめて、寝入ってからまた来るようにお願いしたこともありました。後ろの髪を切るのは比較的やりやすいのですが、額は難しかったです。赤ちゃんの眉(まゆ)など剃(そ)らなくても良いと思うのですが、親は全部きれいにしてほしいのでしょう。父は赤ちゃんの散髪は全部私に任せてくれました。私も若かったし、腕にも自信があったのです。島内の赤ちゃんは、ほとんど私が散髪しました。
 通常1人だいたい40分あったら散髪できますが、私は50分くらいかけます。1日で散髪できるのは、5~10人くらいです。客が多いときには父と2人並んで散髪しました。
 店の設備は昔からあまり変わっていません。大きな鏡は父の代からあるもので、他の店では見ることができないと思います。散髪に使うハサミは、専門店で購入します。器具の消毒も毎日の仕事で、アルコールやクレゾール石鹸(せっけん)液を使いました。」

 ウ 理容師の技術と仕事の変化

 「理容技術は次々と進歩、変化しますが、これは組合の講習会に参加して身に付けました。ここは今治の組合になりますが、高齢になった現在は脱会しています。組合を外れると営業時間、休み、料金も自分で決めることができます。今治地区では組合の協定で散髪代は3,500円です。私は組合を外れており、洗髪もしないため、料金は2,200円にしています。散髪屋の休みが月曜日になったのは戦後、昭和27、28年ころからでしょうか(全国理容生活衛生同業組合連合会ホームページによると、理容店の休日が月曜日になったのは戦後のことで、利用客の便やエネルギー事情が理由という。)。
 ずっと散髪屋を営んできて、景気が良かったのは昭和40年代まででしょうか。ミカンの景気が良かったころが一番でした。当時は盆・正月、お祭りなどにはみんな必ず散髪していました。景気の良い時代の営業時間は、朝8時から夜8時まででしたが、田舎のことなので飛び入りがあり、11時12時になることもありました。夜遅くても、店が休みの日でも、『やってくれんか。』と言われたら狭い島の顔見知りなので断れませんでした。
 1日のうち客の多い時間帯は、10時か11時ころと夕方です。お客さんの髪型は私にお任せが多かったです。若い人にも注文を付けられることはほとんどありませんでした。『好きにしておくれ。男前にしておくれ。』と最初に言うだけでした。客の頭の形により散髪の仕方は違います。お客さんの頭の輪郭により、どういう髪にカットしたら格好が良くなるか、腕の見せ所でした。
 バリカンも手バリカン(手動バリカン)を使ったのは父までで、私は主に電動バリカンを使いました。私も手バリカンは使えますが、今の若い理容師さんに手バリカンは使えないと思います。手バリカンといっても私たちが使っていたのは両手で持って刈るものです。片手で刈る手バリカンは素人さんでも使えます(写真2-1-10参照)。両手バリカンは素人さんがやると動いてぶれるのでうまく刈れません。左手で下の歯を固定し、右手で上歯を動かして髪を切るのです。なかなかこれを使うのは難しいのです。父が使っていたものが今でも残っています。戦前のもので、私も使ったことがあります。手バリカンは、専門の業者に頼んで研いでもらいます。私は今治の小林理容美容器具店に頼みました。手バリカンも下の歯の厚さで1枚、2枚と刈れる髪の長さが違ってきます(一般的には1枚刈りは2mm、2枚刈りは5mm)。1枚なら1枚に刈る専用の手バリカンがあるのです。昔手バリカンで刈っていた時代は何種類も必要でした。手バリカンは、今のように髪の毛を濡(ぬ)らして整えてからカットすることはしません。電動バリカンのように濡らした髪をカットするだけの力がないので、乾いた髪のままで刈りました。片手バリカンは戦後どこでも使っていたと思いますが、私はそんなには使いませんでした。
 電気バリカン(電動バリカン)を私はいち早く取り入れました。昭和20年代のことです。広島のマツオカ(松岡電気バリカン〔株〕)というメーカーに買いに行き、使い方も習いました。電気バリカンは手バリカンに比べて本当に楽でした。まだ電化製品が本格的に普及する前のことですから、お客さんも『電気で散髪する。』ということで喜んでくれました。組合で電気バリカンの講習があったのは、私が電気バリカンを使い始めてしばらく後のことでした。
 ハサミなどの手入れは自分でやります。専門の研磨業者に出す人もおりますが、私は自分で研ぎます。戦時中、航空廠にいた時にヤスリの使い方、刃物の使い方などを覚えていたのと、道具の手入れが好きだからです。カミソリも自分で研いだほうが使いやすいように思います。砥石は歯がこぼれた時は荒砥(あらと)も使いますが、だいたい仕上げ砥だけ使います。1年か1年半使い込むと、カミソリは幅が4、5ミリも狭くなります。カミソリはお客さんにより研ぐ回数が違います。ひげの濃い客は1人終わったらカミソリを研がないといけません。ひげの薄い客は4、5人剃(そ)れます。普段カミソリは4丁か5丁は使える状態で用意しました。ハサミも自分で研ぎますが、昔と違ってハサミの材質もずいぶん良くなりました。今のハサミは本当によく切れるし軽いです。
 ほとんどはハサミとクシの技で仕事をしてきました。散髪はクシの当て方が大切です。ハサミの持って行き方もありますが、やはりクシの角度が大切です。これが一番難しく、集中力がいります。しかし、現在は技術が進歩したのか、クシと電動バリカンだけで散髪ができるようになっており、そういう理容師が多くなってきています。ハサミは仕上げに際(きわ)を刈るだけになっています。時間も短くすみ、楽です。クシとハサミでカットするほうがお客さんも気持ちが良いと思うのですが。」

写真2-1-10 手バリカン2種類

写真2-1-10 手バリカン2種類

右が両手用、左が片手用。**さん所有。平成21年9月撮影