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えひめ、昭和の街かど-生活を支えたあの店、あの仕事-(平成21年度)

(1)伊予鉄横河原線開通とともに店を移転

 「うちは、近所では『かどみせ』と呼ばれています。門田商店の『門(かど)』と街角の『角(かど)』の両方かかっているのですが、お客さんは街角のイメージの方が強いと思います。創業は明治18年(1885年)です。私で4代目になります。最初はこの場所ではなくて、今の横河原橋のたもとに店がありました。当時この辺では、山之内(やまのうち)の材木を切り出して松山へ材木を出荷していました。そのため山之内で材木の切り出しや搬出に従事している人たちがたくさんいたのです。その人たちにいろいろな品物や食物を提供するために店を出したのが始まりと聞いています。
 現在の場所に店が移ったのは、明治32年(1899年)に伊予鉄横河原線が開通した時です。鉄道が開通すれば駅前がにぎやかになり、人通りも多くなると考え、金比羅街道と駅前通りの交差する角へ(当時は駅前の通りは金比羅街道までだった。)店を移したそうです。当時は日用品、食料品を売っていたようです。昭和の初めころには、お菓子も販売していたと聞いています。タルトや和菓子を作って販売していたのです。私が子どものころは、日用品と和菓子を売っていました。朝早くから、父と母がお菓子を作っていました。」