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えひめ、昭和の街かど-生活を支えたあの店、あの仕事-(平成21年度)

2 銅山を支えた大動脈-別子鉱山鉄道-

 別子(べっし)銅山は、元禄4年(1691年)に泉屋(住友)によって開坑された。昭和48年(1973年)に閉山するまでの283年間に銅鉱石3,000万t、産銅量65万t以上を産出し、日本の近代産業の発展、工業都市新居浜(にいはま)の発展に大きく寄与した。その別子銅山の大動脈として大きな役割を果たした別子鉱山鉄道は、伊予鉄道に続く愛媛県で2番目の鉄道として、明治26年(1893)5月に端出場(はでば)~惣開(そうびらき)間の下部鉄道が、12月には角石原(かどいしばら)~石ヶ山丈(いしがさんじょう)間の上部鉄道が開業した。主に別子銅山から採掘された銅鉱石を製錬所や港湾へと輸送する役割を担ったが、昭和4年(1929年)11月~昭和30年(1955年)1月までは地方鉄道として新居浜地域の市民の足にもなっていた。銅山閉山後も採石輸送(岩石や砂利の運搬)で存続していたが、昭和51年(1976年)の台風17号による山崩れで復旧不可能となり、昭和52年2月に廃線となった。
 昭和21年(1946年)から同41年(1966年)まで20年余り鉱山鉄道の運転業務に従事していた**さん(昭和2年生まれ)から運行に関わってきた人々の思いや仕事、鉄道の変遷について話を聞いた。