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えひめ、昭和の街かど-生活を支えたあの店、あの仕事-(平成21年度)

(3)村の産業とともに

 ア オーダーメイドの農具

 「一番忙しかったのは昭和30年代から40年代です。昭和30年代は林業が良かったのです。あのころは、スギでもヒノキでも山が1町歩(約1ha)あったら順々に木を切って生活できるといわれていました。材木の値段が良かったので材木を運ぶ馬も多く、蹄鉄の注文がたくさんありました。蹄鉄だけでなく木の伐採に使う鉈(なた)や斧(おの)、エガマの注文も多かったです。鍬(くわ)の注文もたくさんありました。鍬は『軽くしてくれ。』とか『目方を重くしてくれ。』とか注文に応じて作りました。鍬の角度もいろいろあります。耕す場合はノケのもの(角度の大きいもの)、土をかくものはカギのもの(角度の小さいもの)が使いやすいのです。鍬の修理もたくさんありました。刃先がすり減ったり、欠けた部分に鉄と鋼(はがね)を足していくのです。昔は田んぼや畑を鍬で1日中耕すので、忙しい時期は、20日ぐらい使うとすり減っていました。普段は朝8時ころから夕方5時ころまで仕事をしますが、注文が多くて夜通ししたこともあります。休みは特に決まっていません。仕事を頼まれればいつでもやっていました。1年を通して忙しいのは、春の4月・5月、秋の9月・10月でした。春は田起し、秋は稲刈りや麦を蒔(ま)くので鍬、鎌などの農具の注文が多かったのです。
 ところが、昭和30年代後半ぐらいから畑だったところがだんだんと栗山に変わりました。さらに、昭和40年代からテーラー(耕耘機(こううんき))が出だして鍬の注文、修理の仕事が大幅に減ったのです。鎌も草刈り機やバインダー(稲刈りなどに使う自動刈取り機)が出てから注文が減りました。昭和50年代になると、鍬や鎌を作る仕事はほとんどなくなりました。」

 イ 建設工事と鍛冶屋
 
 「ツルハシやガンヅメ(小石などをかき寄せるのに使う、3~5本の爪を持つ道具)、削岩機用ピックなど建設工事で使う道具の修理もしました。河辺では昭和31年(1956年)に河辺川坂本堰堤(さかもとえんてい)の建設工事がはじまり、さらに昭和32年から34年にかけてうちのすぐ下で、四国電力の植松(うえまつ)堰堤取水工事がありました。工事が始まってから、工事現場で使う道具の修理の仕事が土建屋からたくさんくるようになったのです。働く人がたくさん来て街もにぎやかでした。当時はこの植松に映画館やパチンコ屋、料理店もあり、街自体がにぎやかだったのです。工事関係の道具の修理の仕事は、平成の初めころまでいろいろとありました。
 村の鍛冶屋は村の産業と密着していて、何でも作らないといけなかったのです。村の人にとっても道具がなければ農業も林業も建設業もできないので、鍛冶屋はなくてはならないものだったと思います。」