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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇はじめての聞き書き

 それから5年くらい後に、わたしは山形県内に新たな職を得て赴任し、それをきっかけに本格的に聞き書きを始めました。そして、ある新聞の山形版に聞き書きを3年間ほど連載しました。その時には、先はどの大蔵村が属する最上郡を舞台として、地元の古老から、その人の人生やなりわいなどを聞き書きして歩きました。そして、その聞き書きの最初の相手が、やはり大蔵村でずっとカンジキを作っている老人でした。カンジキは雪国のくらしにはなくてはならない当たり前の道具です。それをずっと作っているおじいちゃんがいるということで、わたしは興味を持ちました。
 このおじいちゃんへの聞き書きを始める際に、わたしは、質問事項を前もって作ることはしませんでした。聞き書きの一般的な方法は、柳田国男という日本の民俗学の大家が作った100程度の質問事項や、あるいは聞き手が独自に考えた質問事項を基に行うものですが、わたしはそうした方法を捨てました。質問事項を持たないで行ってみようと思ったのです。ですから、いきなりお邪魔をして、何気ない顔でおじいちゃんの前に座りました。すると、「お前、何を聞きに来たんだ。」といぶかしげに言われました。これは、どこへ話を聞きに行ってもよく問われたことです。そのような時には、「おじいちゃん(おばあちゃん)の人生を知りたくて来ました。」と答えます。実際にわたしが聞いている話は、ほとんどがそういう話なのです。
 わたしは、学問的に必要な情報を集めるために話を聞きに行くことは、一度もしたことがありません。その人の人生に触れてみたいという思いで訪ねます。語りのなかには、炭焼きや焼畑などさまざまな事柄が登場し、だんだんと世界が広がります。しかし、語りの基本となっているのは、その人の人生だと思っています。
 カンジキを作っているおじいちゃんの家を午前中に訪ね、これまでの人生の一こま一こまを聞いているうちにお昼になりました。すると「飯を食え。」と言われたので、一緒に食事をしました。昼食が終わると、「おれはいつも昼寝をするんだ。」と言い、さらに「お前もそこで寝ろ。」と言い残して、おじいちゃんは隣の部屋で寝てしまいました。わたしは、寝ろと言われたものですから、おばあちゃんから毛布を借りて、おじいちゃんとは別の部屋の日だまりで昼寝をしました。しばらくすると、おじいちゃんが起き出して、「カンジキを作るところを見せてやる。」と言って作業場に向かいました。そこで話を聞きながら、おじいちゃんがカンジキを作る様子を写真に撮りました。これが、わたしの初めての聞き書きの体験です。
 最近、このおじいちゃんの家を訪ねたのですが、ちょうどその時はいらっしゃいませんでした。代わりに、東京からいらしていた娘さんにお会いして、こういう者ですがと名乗ると、わたしのことを知っておいででした。わたしの聞き書きは新聞に掲載され、また本にもなっています。その本はおじいちゃんにもお送りしていたのですが、それを大事に箱に納めて神棚の下に置いてあるということをうかがった時には、とてもうれしかったですね。そして、以前聞き書きにお邪魔をした時に、食事を作ってくれたり毛布を出してくれたおばあちゃんは亡くなられていましたので、お線香を上げて帰ってきました。