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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇短歌を仲立ちに

 城辺町内には、全国的にも有名な歌人が最近までお住まいでした。浅井俊治、徳田寒堂がそうです。それぞれ、全国的結社の『アララギ』、『まひるの』に属しているとともに、城辺町内や南宇和郡内の短歌愛好者の指導をしておりました。そして、現在活動をして全国的にも注目されている会が、昭和47年(1972年)に結成された「南宇和歌人クラブ」で、短歌雑誌『南宇和』を刊行しています。編集発行の責任者は、城辺町在住の土居清です。また、南宇和歌人クラブに属している城辺町在住者によって「城辺短歌会」が作られ、月例の歌会と短歌誌の発行が行われています。
 こうした町内在住の方々の歌が、毎月町役場が発行している『広報・城辺』に掲載されています。発表者は皆さんの身近な方々で、特別な人ではありません。その方たちが、物や事に触れて、見たり感じたり考えたりしたことを、31文字に表現しています。ちなみに、今年(平成11年)の9月号から2首を挙げてみます。

   病院の待合室に暗き顔疲れし顔あり吾もその一人か

 これは、坂本祥子の歌です。分かりやすい歌だと思います。わたしなどは、この歌を読んで、医者の助けを借りて病気を治し、早く明るい顔になってくださいと声を掛けたいと思ってしまいます。

   吾も又君の如く若々しく明るく元気に老いたしと願う

 これは、梶田坦子の歌です。若々しい友達を見て、自分もそのように年を取っていきたいと、中高年ならだれでもそう思うであろう心情を詠んでいます。
 こうしてみると、本日お集まりの皆さんのなかには、「なんだ、短歌とはこんなものか。」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。もしそうならば、わたしは「やった。」と思わずにはいられないのです。短歌作りの基底には、個人が心に抱く美しいものへのあこがれが流れています。一方、短歌には、そうした思いを他人に伝える、呼び掛けるという働きもあります。『広報・城辺』に掲載されている短歌を仲立ちとして、歌を作る人と作らない人とが心を通わすことがでさればと願っています。それは、少人数でのささやかな歩みではありますが、城辺町の文化づくり、町づくりへの遠くからのかかわり方だとわたしは思います。
 以上で、わたしの発表を終わらせていただきます。ありがとうございました。