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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇おいしい塩を守る

 以上のような点に関心を持ちましたので、わたしたちは、塩田を残してほしいという運動を起こしました。しかし、わたしたちは単なる消費者ですから、運動資金を提供していただけるようなところもありません。とにかく、手弁当で約5万人の署名を集め、各関係機関、消費者団体等へ陳情をして回りました。塩田製塩のことを「自然塩」という言葉で表現したのは、この時が最初です。この陳情のおり、「塩田から作られたおいしい塩を残してほしい。」と言って、わたしたちはお願いしたのですが、その時の皆さんの反応としては、「塩は、しょっぱいから塩と言うのではないのですか。『おいしい塩』とはおかしなことを言いますね。」というものが多かったです。あるいは、「味というものは、主観的なものでしょう。もし、あなたがおいしいと感じても、わたしはおいしくないと感じるかもしれません。ですから、こういうことは論議することではないと思います。」と言われたこともありました。しかし、現在わたしたちが作った塩を買ってくださる方の多くは、「おいしいから買います。」と言ってくださっています。ですから、確かに味は主観の問題なのですが、同じ主観を持つ人が増えてくると、それは客観性を帯びてくるのです。したがって、「主観の問題だから、客観性に乏しい。」と言ってしまうのは、やや無理があったのではないかと今では思っています。
 また、昭和46年当時、愛媛県には、塩田はこの伯方町内にしか残っていませんでした。そこで、わたしたちは、せめて伯方の塩田は残したいという思いでした。しかし、結局は力が及ばずに残すことはできませんでした。でも、輸入した塩田塩を原料とし、それを水に溶解してろ過し、さらに煮詰めて自然塩を製造することについては、実現することができました。
 その時から、消費者だったわたしたちが、自分たちで塩を作ることになったわけです。つまり、それまでは消費者で、今は生産者ということになります。これ以後、「専売塩」以外の塩の生産の道が開かれました。自然塩は、最初は「特殊用塩」と言われ、現在は「特殊製法塩」と言われています。平成9年には、重さの違いも1種類に数えますと約1,000種類の自然塩があり、メーカーは約250社に上りました。したがって、わたしたちが最初に願っていた「いろいろな塩が作られたらいい。」ということは達成できたのですが、その代わりに、生産上のライバルがたくさん増えてしまったという、大変な矛盾の中に現在いるわけです。しかし、そんなことには負けないで、「本当に消費者にとって食すればいい塩とはどういうものなのか。」ということを、今後とも、わたしたちが追究し続けていかなければならない命題としていきたいと思います。