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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇民具とは何か

 私は、長らく民具の研究をして参りましたので、4人の先生方からいろいろお話を伺いまして、大変感銘を受けました。
 4人の先生方のお話は、全て民具研究だと思います。そこで、まず民具とは何かということで、その定義につきましてお話しようと思います。
 昭和の初めころに、渋沢敬三という日銀総裁や大蔵大臣をされて、日本の戦後の財政復興に尽力された方がおられました。この人は実業家でありますけれども、同時に実は大変な民俗学者でもありました。元々生物学をやりたいということで、大学生の時から全国各地を回り、動植物の標本であるとか、化石などを収集されておりましたが、その過程で、郷土玩具が単に遊びのおもちゃではなくて、その地域の歴史と風土と技を、最も端的に表現したものであるという視点から、各地の郷土玩具にも注目されて収集されました。このうちの何千点かは、現在大阪にあります国立民族学博物館に収蔵されております。この渋沢先生が、初めて民具というものの定義をされたのです。
 日本の民俗学は、柳田国男先生によって開かれたのですが、当初、柳田先生が進められた民俗学というのは、当時の日本の学界において市民権を獲得するために独自の目的と研究方法を打ち立てなければならなかったので、それまでの日本の歴史学や地理学や社会学や経済学が、あまり注目しなかった日本人の固有信仰というものに焦点を当てて開拓されたのです。それがだんだん発展いたしまして今日の民俗学になるのですけれども、どちらかと言いますと、きわめて精神主義的性格を持っているというのが、渋沢先生の柳田先生の学問に対する批判でありました。そこで、渋沢先生の言葉で言いますと、「生態学的」とでもいうような科学的な方法で民俗学をやれないものか、ということで考えられましたのが、日本人が日常生活の必要から使ってきた道具に注目した研究なのです。つまり、道具こそが日本人の民俗を最もよく知らしめるものであり、伝承そのものも、物が存在することによって初めて存在し、精神生活も維持されてくるという考えから、民具研究というものを提唱されたのです。
 そこで提唱された民具の定義が、今日もそのまま生きております。その定義とは、「我々の同胞が、日常生活の必要から技術的につくりだした身辺卑近(ひきん)の道具」というのです。つまり、日常生活をより良くするために、生活の中から知恵を働かせてつくりあげてきた身近な道具全てが民具であるということであります。その範囲と言いますと、衣食住の道具から、生産生業の道具であるとか、あるいは社会生活の道具であるとか、郷土玩具から信仰の用具、いうなれば御幣から絵馬からお札というところまで入るわけでありますから、日本人が培(つちか)ってきた生活で使った全ての道具が民具であるということです。そして、ここから日本の民俗、生活文化、もっというなれば日本文化を究明しなければならないということであります。
 日常生活の必要からつくりだした身辺卑近の道具ということを短絡的に考えますと、これは生産生業、あるいは交通運搬に関する道具であるかのように理解されますが、そうではなくて、我々がつくりだしてきた伝承的な造形物、器具一切ということで、文化庁の定義も渋沢先生の定義にのっとっていて、生活の中でつくりだした道具一切を民具としています。また、民具を考えるときに技術ということがありますが、その技術には、それをつくるというだけの技術ではなくて、使いこなす技術もあるわけでして、それをどう使いこなし、生活とどうかかわってきたかということの意味もありますので、非常に幅広く考えなければならないのです。