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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇糸づくりと布づくり

 私が織りを始めたころは、絣にすごく興味があったのです。元々絣というのはインドから東南アジアのタイやインドネシアに入って、それから沖縄を経て日本に入ってきたものです。それで、私は、そのルーツを見たくて東南アジアに行ったりしました。日本では着尺(きじゃく)(着物の反物)という形で絣が一番完成されていると思うのですが、幅が約33cmに決まっているため、かなり限定されてしまうのです。それに比べて、東南アジアの絣は、広巾(ひろはば)で色使いや柄が大胆で、布自体の面白さがあり、私はすごく魅かれました。
 日本に帰って、織りを始めてから何年かは、とにかく上手に織ろうということしか考えていませんでした。上手に織るというのは、両端がきれいにそろっていて、糸が飛んでいないとか、絣だったら柄があっているとかということです。そういうことばかりに気をとられて、気がつくときれいに織れるようにはなっていたのですが、手織りなのか機械織りなのか、素人目には分からないという状況になったのです。これは織りの世界のことだけではないようです。私は、焼物とか、吹きガラスといった作家の方たちとそういう話をしたことがあるのですけれども、その時に、「技術が磨かれて洗練されていけばいくほど、材料の質もいいものを選ぶようになって、初めのころの素朴さや大胆さというのが、だんだんなくなって、すごくきれいになっていくのだが、大量生産の手作り風のものと同じように見えるようになってしまい、なんのために手作りをしているのかという疑問が出てくる。」というようなことを言われていました。
 それで私の場合も、なんのために手織りをしているかということを考えはじめ、結局、手織りでしかできないものをつくろうということになっていったのです。だから、最近では、頭で考えた絣の図柄よりも、素材そのものの糸づくりに力を入れるようになりました。例えば、クズのつるの部分を使ったり、カラムシという、昔は栽培をしていたみたいですけれど、別名ノマオという植物の茎の太くなった部分を、2晩ぐらい水につけて腐らせて、外側の皮をむいた繊維を使ったりしています。こういうふうに、自分で繊維をつくるということをしだして、全く作品の方向が変わってきました。
 絹を使う場合も、買おうと思えば、いろんな絹の糸があるのですが、タテ糸もヨコ糸も、自分で紡いで草木染をしたもので、ショールなどをつくっています。でも、こういうものは機械ではできないし、風合(ふうあ)いのよさは既製の糸でつくったものとは比べものになりません。
 それから、紙の原料のコウゾ。本当は石灰とかカセイソーダでぐらぐら煮て真っ白にするのですが、その木の皮を残したかったので、わざと途中で煮るのをやめて、あとは木づちでたたいて少し柔らかくしたものを、麻糸と一緒に織ったりします。これは、染めなくても、そのままで味があって、私は気に入っています。
 手織りでしかできないというものに、裂織(さきお)りというのがあります。裂織りというのは、昔、帯などによく使われたのですが、タテ糸に麻糸を使い、ヨコ糸として古くなった布をテープ状に切ったものを糸の代わりに織り込んだものです。布が古ければ古いほど味が出て、いいものができます。これは、今、はやってきていまして、時間的に早くできますし、リサイクルにもなります。別に古い着物でなくても、洋服とかジーンズでもできます。捨てられる運命にあった布が、また新しく生まれ変わる行程はなんともいえない喜びがあります。
 以前インドに行った時に思ったことなのですが、向こうの方は男の人でも女の人でも、1枚の布というのを、すごく上手に使うのです。例えば、大判のショールぐらいの布を、男の人でしたら腰に巻いたり、暑くなったら頭に巻いて日除けにするし、座る時には下に敷いたり、あとはちょっと寒くなったら肩にかけたり、寝る時は毛布がわりにしたりします。日本だと固定観念があって、これは何に使うというのが分からないと使えないというものが多いのですが、こういうふうに自由に使えたらいいなということを、すごく感じました。布を壁にかけたり、眺めたり、飽きたら身にまとったり、ちょっと旅行に行くのでも、ショール1枚というのは、すごく利用価値があるし、色あせたら染め直したり、破れたらパッチワークにしたり、裂織りにしたりとか、1枚の布をしっかり最後まで使い込んでいくことは、すごく楽しいことだと思うのです。
 今は、物があふれていて、買うことばかりに気をとられていると思うのですが、なんでも買える時だからこそ、身の回りに気をつかって、自分の生活の中で使うものとか、目にするものにちゃんと気を入れたいと思うのです。長く大事に使っていけるものを選んだり、つくったりする目を持っていきたいと思っています。すぐに飽きてしまうものというのは、目新しいだけで、深さがないのではないかと思うのです。本当にいい物というのは、使えば使うほど愛着が出てきて、気がついたらそればかり毎日使ってしまうような、そんなものだと思います。
 愛媛では、染めとか織りをなさっている方が少ないのですけれども、皆さんにもっと布を楽しんでいただけたらと思います。