データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇「くらわんか」との出会い

 砥部焼の歴史の中に、くらわんか茶碗というのがありまして、陶片が昔の窯跡に残っています。異様に高台(こうだい)の大きいお茶碗ですが、私とこれとの出会いを簡単にお話します。
 私が窯を始めた当初、東京のほうから焼物を教えて欲しいという人が、私の窯場に来るようになったのです。しかし、私も始めてすぐでしたから、習うのだったらよそへ行ったらどうかという話をしたのですが、結果的にはうちに3年半ほどいました。彼は元々は商業デザイナーとして中央で仕事をしていたのですが、古いものに大変興味を持っていまして、上原窯の窯跡に不良品や廃材をほかしてある(捨てている)物原(ものはら)という所があるのですが、そこへ100回ぐらい陶片を掘りに行きました。その中に、高台の大きいくらわんか茶碗の陶片もたくさんありまして、初めて私はそれの存在を知ることになりました。戦後の昭和27年(1952年)ころの民芸ブームが起きたころに、柳宗悦(やなぎむねよし)先生や濱田庄司先生、また、富本憲吉先生などが来られて、「砥部焼には、くらわんかがある。淡黄磁がある。」というふうに言われたといいますから、くらわんか茶碗というのは、砥部焼の一つの特徴となる焼物だったのだろうと思います。
 このくらわんか茶碗といいますのは、大阪の淀川で船の商売人さんが「飯くらわんか、酒くらわんか」というようなことで名前がついた飲食物を売る時の器でして、今でいう駅弁の器のような当時の雑器でした。それを、後年、茶人が川底から拾い、茶の道具として使ったというような話も聞いております。特徴としては、船の上でもひっくり返りにくい高台のでかい形をしており、元々は、中国の雲南地域の食器の形と聞いております。
 それで、この陶片を元に、寸法や形や口のつくりだとか、あるいは高台の削りだとか、そういうものを勉強させていただいて、先程の人と二人でくらわんか茶碗の復元をしました。まあ、商品として定番になるまでには2年近くかかりました。その間、砥部焼としてはもう少し厚めにとか、線が細いとか言われましたが、現在は、商品としてお店に出しています。砥部へ来られました際に、高台のでかいお茶椀がありましたら、これが「くらわんか茶碗」だということで見ていただいたらと思います。