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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇砥部焼にたどりつくまで

 今日は、「淡黄磁に魅せられて」という大層なテーマをいただいていますが、私自身、砥部焼にたどりつくまでに多少うろうろしておりますので、まずそのあたりからお話をさせていただいて、あとは「くらわんか」との出会いとか、「淡黄磁」についてお話させていただいたらと思います。
 私は年はとっているのですが、窯を始めてまだ13年目です。昭和14年(1939年)に砥部町に生まれました。母親の里が窯元だったものですから、焼物に全然無関係というわけではなかったのですが、高校を出て、神戸のほうの造船所に就職しまして、潜水艦の設計や海洋開発等の設計屋として21年やってきました。昭和54年(1979年)、第1次、第2次のオイルショックの後、希望退職し、同年に砥部のほうへ帰って参りまして、陶芸館で館長を6年間やらせていただきました。今で言うリストラの第1号というわけです。館も順調にいくようになり、無事退職させていただきまして、さあ次に何をやろうかということになった時に、家内の兄が焼物をやっていましたので、そちらにろくろの修行に行くようになりました。その間1か月間ほどは無職だったのですが、若いうちに仕事なしでブラブラしているのは非常に苦痛だったのを覚えております。
 そこで半年間修行した後、今の永立寺に窯を開かせていただきました。やり始めてみますと、母親の里が窯元だったということで、『門前の小僧習わぬ経を読む』と言いますが、小さいころ知らないうちに、いろんなことを見せていただいていたのだなということを実感しました。