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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇日本人と川

守谷
 なるほどね。
 それともう一つ、我々日本人の気持ちの奥深い所に、「水に流す」というのがありますよね。例えば、汚いものはほうきでパッパッとはいて、水に流してしまうとか、けんかをしても「水入り」とか言って止めたりします。どうやら、我々日本人は、何もかもファジーに、まあまあというような中途半端ではあるが、川は全てを流してくれて、ある意味では問題解決にもなるといった精神構造や考え方を持っていると思うのです。そのあたりは、研究者としていかがお考えでしょうか。

森下
 今まで、日本の川はあまり汚くならなかったし、汚くしても割と早く回復しましたが、その一番大きな原因は、実は日本人の川に対する考え方にあったのです。つまり、日本人は、水に流すと必ずきれいになるということを信じてきましたから、川が汚れた時に、これは大変だというブレーキがかかったのだと思います。
 汚い川を見ながら都会に住んでいる人たちも、みんな元は田舎に住んでいましたので、都会に住んで、都会の汚い川を見ると、日本人の頭の中の遺伝子が働いて、これは大変だというブレーキがかかったのだと思います。つまり、日本人の頭の中の遺伝子には、川は流れているものであり、そこには魚がすんでおり、ある程度きれいでないといけないという情報が入っていたのです。そういう我々日本人の感性が、汚れてしまった川をきれいにするのに少なからず働いたというふうに、お考えください。日本人も、捨てたものではないですよね。
 一方、アメリカという国は、今から200年ほど前にヨーロッパから入って来た人たちがつくったのですが、そのときキリスト教を持って入って来ました。ところが、キリスト教というのは、いいものか悪いものかをはっきり決めるという宗教ですから、「なあなあ」がないのです。アメリカの自然観はこのキリスト教の影響を受けていまして、例えば、アメリカの川は、毒を流して一度は魚も虫も全部殺してしまって、新しく自分たちの好きな魚だけを放流してつくったのです。このように日本人とアメリカ人は自然観が違うのですが、最近になってアメリカでも共生というのは大事なことだ、なんとかしなくてはいけないということに気付きはじめたのです。
 ですから、日本人が生きていく全ての根底にある、この「なあなあ」というものが、ひょっとしたら地球を救っていく、一つの指標になるかもしれないのです。

守谷
 また、目からうろこがとれてしまいました。実は私は「なあなあ」と言ったり、水に流すというのは、今後の国際社会では、日本のハンディキャップになるのではないかと思っていました。しかし、自然観からすると、日本人はすごくいいものを持っているのだという、すごい味方を得たような感じがしまして、これから日本が元気になっていく一つのヒントを得たのではないかなと私は思います。
 森下先生、日本は、これだけ経済的にダメージを受けながら、環境に関しては、ずいぶんいいものを持っていると、理解していいのですね。

森下
 そうですね。生き物と経済とは違うのですから、経済では白黒つけないといけないかもしれませんが、生き物では、人を殺さないということが目標なのです。だから、お父さんが、自分の子供が多少出来が悪くても、少しだけ言うことを聞かなくても、追い詰めることをしないのは、生き物の生き方なのです。魚に対しても同じように、追い詰めないで一緒に生きていくことが大切だと思います。少し優しくなったら、回りの環境が違うように見えてくるはずです。お母さんが優しいと、子供たちが生き生きするはずで、それが生き物と付き合う方法なのです。皆さん、これからも「なあなあ」でいきましょう。