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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇新しい街道づくりへ

 この桜花塾のメンバーは職業も居住地域もそれぞれ違うし、立場もいろいろ違うわけですから、考え方もいろいろ違うのです。これが桜花塾の一番いいところであって、ある人が言いたいことを言って、それを皆がやりたければやるということで、いろんなことを考えて、いろんなことをやっております。
 そこで、ここでは、街道ということに絞って、桜花塾がやったことを、それほどはありませんが、あげてみたいと思います。
 まず、「ふるさと再発見ウォッチング」というものを、川内町の女性塾と一緒になってやりました。ちょっと話は変わりますが、何かをしようという時に、一番効果が上がるのは、若い女性を動かすことなのです。若い女性が動けば、必ず男が動くというのは、もう世の中の常です。とにかくそういうことで、川内町に出来た女性塾の方たちと一緒に、川内町を通る金毘羅街道をずっと歩きまして、昔の川上郵便局の跡とか、西門さんといわれた大きなお屋敷の廃屋とかを、見て回ったことがあります。
 それから平成6年には、「隣町サミット」というのをやりました。これは丹原町のイベント専門の町おこしグループの若者塾と一緒に合同プロジェクトを組みまして、「チェリーウェイ(桜の道)」という名前で、1回はコンサートをやり、1回は源太桜という大きなサクラの木を越えて、川内町と丹原町の境目にある旧の桜三里を歩いたりもしました。なぜ、丹原町の若者塾と組んだのかというと、川内町はいつも松山のほうを向いているので、ここで反対方向の丹原町と組んで何かやってみようということだったのです。次に、将来の街道づくりに桜花塾がどう取り組むべきかということをお話します。桜花塾は、これをやるとはっきり決めて、そのためだけに動くグループではありませんので、街道のことだけに絞ることもないし、他にもいろいろ考えたり、やることが一杯あるのですが、今までの話し合いで出ましたものに、親水公園というのがあります。それは、今の町筋といわれる金毘羅街道の脇には川がありますが、ああいう生活道路の中に水が流れている景色は、そうはないと思いますので、そこから水を引いて、街道の脇に親水公園をつくったらどうかということなのです。水は、人間を守るという治水から始まって、それをどう利用するかという利水になり、それから水に親しんでいくという親水とならなければいけないという声を最近よく聞きます。そういう意味からも、金毘羅街道の脇のどこかに親水公園をつくれたらなというような構想を持っているのです。
 もう一つは、ちょうどこの愛媛学セミナーの話が出る直前に、この川内にも道の駅をつくってみようという話が持ち上がっております。
 もし、これらを実行するにしましても、用地を確保したり建物を用意したりといったことは行政や経済団体にお任せしなければなりませんので、その前段階で、独創的なアイデアやヒントを提言することが桜花塾の役目かなというように考えております。
 そういう具体的なことも、一つ二つと出てはいるのですが、桜花塾がつくる道としてはっきりといえることが一つあります。それは、桜花塾はハード事業をそんなにやらずに、ソフト事業でやってきましたので、人と人とのつながりを大切にし、育てていくことができるということです。例えば、桜花塾があるがために、人と人とのつながりができて、今現在、滑川には「滑川ふるさと塾」、井内には「愛桜会」、土谷には「ふるさと桜三里会」がつくられ、そういう輪がだんだん広がっています。つまり、人と人との輪、あるいはつながり、人と人との情報を結ぶものが街道ではないだろうか、そして、それが桜花塾のつくる街道ではないかというふうに考えているのです。
 こういった所で終わらせていただきます。