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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇里塚石

 今、お話しましたのは川内から金毘羅さんのほうへ行く道で金毘羅道といいますが、反対に松山の方に行くのは川上では城下道とよんでいまして、同じ金毘羅街道でも方向によって城下道と金毘羅道に分けられていたのです。ですから、街道の道標も金毘羅道標の方は、金毘羅へ近づくほど里数が次第に縮まっていくのですが、城下道の里塚石の方は「松山札の辻より○○里」という数字が、松山から遠くなるにつれて増えるのです。この里塚石は、松山札の辻から、1里(約4km)ごとにたてられていて、川内町には4里から6里までの里塚石がありました。そのうち、四里塚石は、現在も斉院(さや)の木に立っております。五里塚石は今なくなっています。
 土谷には、昭和30年代には、まだ、六里塚石があったのですが、現在はなくなっていまして、写真に残っているだけです。
 なお、丹原町には、七里塚石が、場所は変わっていますが、国道11号沿いにあるうどん屋の角に、八里塚石が臼坂宝ヶ口(ほけぐち)に、九里塚石が田野小学校の東側に、十里塚石が、場所は変わっていますが、丹原町役場に現在もあります。