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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇はじめに

高市
 失礼いたします。初めに自己紹介を兼ねまして、私のことを少し話させていただきまして、その中で、本日の愛媛学セミナーの趣旨についても、触れさせていただいたらと思います。
 私は伊予郡砥部(とべ)町で生まれました。ちょうど目の前を重信(しげのぶ)川が流れておりまして、小さいころは、そこが遊び場でした。当時はまだ、砥部川と合流するあたりでは、夏になりますと、カガシラ(毛ばり)でアユがよく釣れておりました。
 私が小学校3年の時でした。この重信川をさかのぼると、一体どこに行くのだろうという興味を持ちまして、ずっとさかのぼって川内町の近くまで来たことがあります。両親は非常に心配しまして、心当たりを探していたようです。夜になって、私が帰りますと、父から「高歩(たかある)き(遠出)をするものではない」と、非常に怒られました。
 その時の父の、非常に険しい表情も思い出すのですが、それよりも何よりも、自分の住む村にかかる橋にやっとたどりついた時に、村一帯に明かりがともっていたのを、非常に美しい印象として記憶しています。あの時の安堵(あんど)感、心暖まる気持ちが、私にとってふるさとの原風景になっているようです。
 道幅や川幅も、目線の低い幼いころの視点で見たものと、大人になってからとではずいぶん違うわけで、幼いころにはずいぶん広いと思っていた川幅が、大人になって見てみますと、それほどでもないというふうなことに気がつくことがあります。今日のこの愛媛学セミナーも、簡単に申しますと、この川内町を、もう一度興味を持って、いろんな視点で楽しく見つめ直してみようという集いです。愛媛県には、それぞれつながりを持った70の市町村があります。ですから、この川内町を知るということが、愛媛県を知るということにつながるわけです。どうかお気軽な気持ちで、お付き合いをいただいたらと思います。
 これから、金毘羅(こんぴら)街道の宿場町として栄えていたこの町の歴史や文化について耕していくわけですが、耕し方は、その土地によって違います。この川内町の場合、キーワードは街道ですから、まず「みち」という視点から耕していきたいと思っています。そして、耕すうちに、きっとこの川内町だけの土の匂いのする、魅力ある個性が現われてくるに違いありません。
 道の「み」は接頭語、「ち」は、これは「あっち・こっち」の「ち」で、漠然とした方角とか方面をさす言葉だといわれています。ですから、道というのは、いろんな人とか物とか情報が頻繁に行き交った、人間にとっては生命線であったわけです。
 今日、御講演をいただきます小山先生は、日本中世史が御専門ですけれども、熊野信仰と、その信仰の道である熊野古道研究の第一人者でいらっしゃいます。例えば、愛媛県では、約35の神社が熊野にゆかりが深く、この川内町でも南方(みなみがた)には「熊野神社」がありますし、今日の御講演は皆さん方にとっても、非常に興味深いものになるのではないかと思っております。それでは、先生、よろしくお願いいたします。