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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇祭りとは

 西条市民が、最も親しみと期待をもっているのが、祭りであると思います。それは、「祭り」という言葉に、待ち焦がれるという意味があると思うからです。つまり、氏神様に自分たちの生活の場へ出現していただくことを、待ち焦がれるという意味があると思うからなのです。またもう一つには、氏神様においでいただいたら、精一杯おもてなしをするという意味もあると思うのです。すなわち、待つと同時に、サービスをする、奉仕をするという意味があると思います。
 それでは、なぜ神様をお迎えして、人々が祭りをする必要があるのかといいますと、人間が幸せに暮らせるポイントは、人々が本当に心を通じ合って、仲良く一つの共同体をつくり、仲良く社会生活をしていくことであり、そのために、年に一度は、人々が心を通じあう機会を持つ必要があるからなのです。今の世の中、向かい三軒両隣に、どんな人が住み、どんな生活をしているか、全然分かりません。そういう時代に、一年に一度、氏神様をお祭りするときくらいは、心を一つにして初めて人間らしくなろうという願いや意味が、祭りには含まれていると私は考えております。