データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇祭りに思うこと

佐藤
 無形民俗文化財の祭礼行事についてですが、祇園祭では、前(さき)の祭りと後(あと)の祭りとが一緒になったということですが、これについては、どうでしょうか。

深見
 祇園祭といいますのは、御霊会でして、いわば鎮魂と厄ばらいのお祭りです。したがって7月24日の、おみこしが神泉苑を回って八坂神社へ帰るという後の祭りの方が、厄病神をすべてひきつれて戻るのですから、実は一番大事なお祭りでして、その祭りのみこしのお供や先触れをするために、9基の山が巡行するのです。
 これに対して、今日行われております7月17日は、前の祭りといいまして、おみこしがお旅所へ出る先触れとして、残る20いくつかの山鉾が巡行したのです。ところが、この前の祭りのほうが鉾が多くて非常に立派で、観光客も大勢参りますので、ついに昭和41年(1966年)に、行政からの要望や、そのころちょうど「糸偏(いとへん)景気」がまだ良くて呉服屋が盛んでして、「7月24日まで祭りをやっていたのでは、他の呉服屋に売り出しで遅れをとる。」といったような、きわめて功利的なそろばん勘定も働いて、後の祭りをやめにしまして、7月17日の後ろにくっつけるということになったのです。この時には、非常な抵抗と痛みがありまして、鈴鹿山(すずかやま)という山などは、その年は居祭(いまつり)といいまして巡行に参加せずに抵抗を示したりもしておりますが、その鈴鹿山も、結局その次の年から17日に合流いたしました。このように、本来ならば、二つの祭りは、別々にすべきところを、祭り以外の事情から合体したという過去があります。
 しかし、最近また、元に戻そうではないかという考えがでてきました。その背景をお話しますと、現在、近畿地方には三都夏祭りと称するイベントがあります。7月17日の祇園祭と、7月20日「海の日」の神戸まつりと、7月24、25日の大阪の天神祭です。そこで、この1週間、近畿地方に観光客を足止めにするためには、17日の祇園祭を2つに割って、7月24日に回せばいいという、純然たる観光的な目的から、そういった話が出ているのです。当然、私のほうにも激しい攻勢があるのですが、「一緒になる時には、あれだけすったもんだしたのに、また、簡単に分かれろとはなにごとぞ。」と言って、私は抵抗いたしております。前の祭りと後の祭りが一緒になったために、いろいろな行事を一生懸命組み替えて、やっと17日に後の祭りも順応できるようになったところで、また分けろということに対して、これも、私たちチョウシュウに力がないために振り回されているという感じを禁じえず、まことに残念に思っております。
 こういうように、祇園祭は文化財であるにもかかわらず、時代によって変わってきました。つまり、伝統行事というのは、変えないでおこうと思って頑張っていても、2、30年の間には変わるものなのです。ですから、まして、それをポンと変えようとか、新規でいこうとか、もっとイベント色を出そうとかいうようなことをすれば、たちまち崩壊してしまうということを、申し上げておきたいと思います。

佐藤
 西条祭りの場合も、昔から考えると、かえって今が一番盛んな時代になっていると思うのです。そんな中で、観光客も増え、だんじりそのものの数も、伊曽乃祭りなどでは、40台から80台に増えてきまして、巡行の時間などもずれてきました。そうすると、巡行の順路そのものも、どうなのだろうかということになり、昨年は城下町の札の辻を通らずに、新しくできた広い道を通って時間短縮をしようというような、そんな動きも出てきました。
 しかし、考えてみますと、平成元年のJR電化の時には、「JRの架線のために、だんじりを小さくしろとはけしからん。」ということで、全市民が一丸となって、巡行の順路を守るための運動をして、だんじりが昔ながらの道を巡行できるようにしたところなのです。ところが、今度は、時間に間に合わないからということで、ほかに支障はないのですが、だんじりの巡行の順路を、広くて観光客が見やすくて、時間が早くなりそうな所に分けて行くというような形になっております。つまり、5時15分の宮入りには、すべてのだんじりが川原に集まり、神様を最後まで見送り拝んでいたのですが、結局時間までに川原へ到着できなくなったのです。巡行には順番がありますから、追い抜いて行くわけにもいかないので、鬼頭(おにがしら)さん(御神輿の警護やだんじりの運行など、祭礼全般を取り仕切る役)は、祭りの運行を早め早めに持ってきているのです。しかし、そういうように日程を変更しても、昭和40年代の祭りと比べると、今の祭りのほうがわがままでゆっくりになったとは思えないのです。まだ、昔のほうが、もっとゆったりとしていて、休憩時間も昼食もたっぷりとあって、40台規模のだんじりが練りあいながら、のんびりと回っていたと思います。ところが、今は、時間に追い立てられて、早く行くというふうにやりながら、なかなか時間に間に合わないのが現状ではないでしょうか。
 そういったことで、西条祭りも、今、転換期に入っていると思いますので、祇園祭が観光化の中で、いろいろとたどってきた先例を、もう一度見直してみることも大事なのではないかと思います。
 これで対談講演を終わらせていただきます。どうも御静聴ありがとうございました。


(注)神幸の際に神体や御霊代を乗せる輿(こし)は、一般に「神輿(しんよ又はみこし)」と呼ばれるが、西条祭りにはこれとは別に「みこし(御輿)」、すなわち御輿太鼓が出る。したがって、本書では、西条祭りに関しては、神体を乗せる方を「神輿」、御輿太鼓を「みこし」と区別して表現した。なお、深見茂さんの話の中の「みこし」は、「神輿」を指している。