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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇祭りを支える

佐藤
 祇園祭は西条祭りとは全然規模が違いますし、チョウシュウの財産も桁違いのものがあったと思いますので、一つの鉾や山をつくる費用というのは、莫大なものだろうと思います。京都の場合、明治時代からの近代化でそれぞれのチョウジュウが自治権を失って、最近は、行政の補助金を頼りにして鉾や装飾品の新調や補てんなどが行われているという話ですけれども、そのあたりをお話をしていただきたいと思います。

深見
 補助金について、少し具体的に言いますと、巡行費、つまり山や鉾を立てて巡行し、終わったらそれを解体するという山鉾巡行のためだけに、祇園祭協賛会というところから、私が理事長をしております山鉾連合会という法人に、現在約8,000万円の補助金が出ております。その内訳は、ひき山とか車輪があり囃子の乗った大きな鉾は、1台につき約500万円弱の補助、そして車輪のない、舁(か)くだけの小さな山は1台につき約130万円強の補助となっております。
 また、国(文化庁)から、復元新調あるいは修理のための事業予算として、約4,500万円くらいの割り当てがあります。しかし、これは事業全体の予算でして、補助としてはその半分が出るしくみになっておりますので、実際に文化庁は、祇園祭に関して年間約2,300万円くらいの金を支出してくれているのです。
 それ以外に新調事業と言いまして、全く新しいものをつくる事業を京都市と京都府がやってくれており、年間約3,700万円くらいの予算を組んでくれています。実際の新調事業のための費用は、5分の1を町内負担とし、あと5分の4を京都市と京都府がこの予算内で半分ずつ支出してくれております。
 さらに、小修理といいまして、巡行の時にぶつかって壊れたり、ちぎれたりした所を修理しますが、そういう1件20~50万円くらいの小さい修理が、総計約1,000~2,000万円くらいかかります。これぐらいの小修理ですと、半分は町内が出さなければなりませんので、総計2,000万円でしたら1,000万円ぐらいの金が公金から出ているのです。
 大きな事業だけをお聞きになると、丸抱えではないかと思われるのですが、なにしろ1件の修理とか新調をいたしましても、数千万円から1億円というようなことになりますので、何かやろうといたしますと、町内負担だけでも一件1,000万円とか500万円とか出さねばなりませんので大変なのです。それでも、今日では、このように手厚く行政によって保護されていると申せましょう。

佐藤
 こういうお話を聞くと、後半のワークショップの中で、具体的にそれぞれ西条の町内でのことなども話が出ると思うのですが、金額的な桁は、相当違うなというのは、お分かりいただけると思います。実際に装飾品などを見ましても、年代的にも歴史がありますし、作者も、当時、超一流の方々がつくったものですので、現代つくり直すにしても、現代の名工の一番優れた人がつくるという形になりますから、ほんの小さな部品であっても、ものすごい金額がかかるのです。また、自治権が奪われ、そしてチョウシュウがだんだん力を失ってきた中で、非常に華やかでいい面と、その陰で仕来りが嫌で若者が逃げるという少し寂しいなという面とが、祇園祭の問題として出てきているようです。
 それに対して、西条祭りを見ていくと、昭和の終わりぐらいから現在まで、古いものには値打ちがなくて、新しいほうがいいのだと言わんばかりの新調ブームが続いていまして、各町それぞれに隣の町よりもいいのをつくるぞということで、次々と新しいものをつくってきました。また、若者についていいますと、嫌と言って祭りから逃げるどころか、じゃまだからちょっとどいて欲しいなというぐらい祭りに入って来ているのです。また、入って来た若者も、だんじりなどをかつぐのではなくて、周りを飛び跳ねているというのが現状なのです。そんな西条祭りと祇園祭を比べてみると、根本的な所で違いが、かなり出てきているのではないかなと思うのですけれども、そのあたり、いかがお考えでしょうか。

深見
 これは非常に難しい問題なのです。祇園祭の懸装品は、動く美術館と称せられておりながら、見識者が見ますと、ここ20~30年の間に様相が一変したといわれます。これは非難の意味で言われているのです。つまり昔からあった立派なものは、全部どこかの博物館か美術館に納まってしまい、あるいはどこかの蔵の中に入ってしまい、全てレプリカになっているということです。これは現実にそうなのです。文化庁も、それを問題視しておられるのですが、一方では、もう二つとない、どこにもないようなものを、毎年毎年、真夏の1週間、炎天下にさらしてもらっては困るという、そういう学者の意見もあり、そこのところが難しいのです。
 私は、ビデオで西条祭りを拝見して感じたのは、「西条祭りというのは、どちらかと言えば、我々のように古いものを大事にしてボロボロになるまで担ぐのではなくて、いかに新鮮で見栄えのするものを担ぐかということで、市民の力を表しているのだなあ。祭りにおいて常に新しいものを捧げるのが、むしろ神に対する敬意だというような発想もあるのだなあ。」ということです。そして、私はそれに感銘いたしました。

佐藤
 神様は新しいものを好むというような考えも、確かにあるように思います。例えば、伊勢神宮で20年ごとに社殿を建て替える式年遷宮(しきねんせんぐう)にしても、ヒノキの真っ白なものというのが神々しいのだというような考え方からきているようです。それから新しいものができるということは、町の経済力を示すという意味もあるようです。
 また、西条祭りには、だんじりとか太鼓台とかみこしなどの、担ぎ方や差し上げ方を、各町が対抗して、いかに多くの人間が、いかに勇ましく、いかにすばらしい練りを見せられるかということで、体力的な力の誇示もしているのです。それから、だんじりそのものも、立派な装飾品をつけ、素晴らしいものを出すことで、町内の経済力や審美眼やセンスというものを回りやライバルのだんじりに見せることによって、発展してきたようなところがあるのではないかと思います。

深見
 今言われた、町内のセンスというのは、実は江戸時代の祇園祭の、チョウシュウの誇りだったのです。それが、旦那衆の力が衰えて、鑑識眼も衰えた結果、古いものしか大事にできないようになったというところが現在の我々の情けないところなのです。チョウシュウが、この画家にこの作品を描かせてというところまで見通す見識が衰えた祇園祭に比べ、現在それがある西条祭りのほうがはるかに活気があるなあと感じます。

佐藤
 そう言っていただくと、西条の者としてはうれしいですね。
 祇園祭の場合も、新調する場合、復元ではなくて、今の芸術家による新作もかなりあるとお聞きしているのですが、そのあたりはいかがでしょうか。

深見
 はい、その努力はかねてからあったのですが、方針として明確に打ち出されたのが、十数年前からできました新調事業のための予算措置です。それ以降だけを取り上げても、絵画では、上村松篁、加山又造、皆川泰蔵といった方々、金工品では、蓮田修吾郎などがおられます。それぞれの町内に昵懇(じっこん)な芸術家がおられて、その方に作品を依頼したり、しかるべき方に紹介された画家に依頼したりと、やりかたはいろいろですが、町内の熱心な努力で実行されております。問題点は、一種のアンバランスです。人々は、新作品をみることによって、逆に、かつて飾っていた江戸時代の懸装品がいかにすぐれていたかに気付くことにもなるからです。それも単に一点一点が高品質であるだけでなく、そのコーディネートの仕方と申しますか、ディスプレイの技術と申しますか、つまり山鉾全体を総合的に飾るセンスにおいて、当時のチョウシュウは現代の我々よりも数段すぐれていたので、いつまで見ていても飽きがこないのです。といって、新調品は、公金の補助によって作成されたものも多く、重要有形民俗文化財の一端をになう装飾品ですから、簡単に取り外されてはこまるのですが。

佐藤
 西条の場合も、民俗文化財ということで、まず行事自体が市指定の無形民俗文化財になり、そして江戸時代のだんじりが4台、市指定の有形民俗文化財になったのですが、文化財指定をすると、確かに現状を維持していかなければいけないので、それよりもう少し古いものが分かってそれに戻すとすると、なかなか難しいのです。
 私は、実は一回も本物の祇園祭を見たことがないのですが、写真などで見て、新作の装飾がついているのを見ると、我々外部のものから見ても、やっぱり昔の柄のほうが良かったのではないかなというような場合があるように思います。
 だからといって、昔の古いものに固執するというわけではありませんが、やはり古いいいものを伝えていくというのも、非常に大事なことなのではないだろうかと思うのです。

深見
 確かに、昔のものは見飽きないのです。例えば、最近はライオンが出てきたり、フクロウが出てきたりして、見ていると初めは新奇なのですが、何年かたつと町内の人が飽きだすというようなことになる場合もたまにはあります。これは、絵描きさんに対して失礼ですので、あまり具体的には申し上げられませんが、そういったような事態も、さきに申し上げたように、ないこともないのです。私は、これを京都自身の地盤の沈下だと思っております。つまり、江戸時代までは、洛中のチョウシュウは、日本で最もとぎすまされた芸術センスを身につけていたのであり、かつ京都にはこれに支えられて日本一の金工師、染色師、絵描きが集まっておりましたから、その時代最高のものができたと思うのですが、今日、そういうことがなくなりましたので、東京の絵描きさんにお願いしているようなのもあります。例えば、南観音山は、日本画家の加山又造さんの龍に全部まとめています。そういうふうに、今でも新調事業は盛んに行われていると申し上げておきます。

佐藤
 西条祭りの場合ですと、新調ブームにより職人の技術を伝えていく必要ができ、職人が地元から育っていったのではないかなと思うのです。職人に仕事がなければ、結局、その技術は伝えられなかったでしょう。私が子供の時には、昔のような技術を持った職人はいないから、いくらお金があっても、もう二度と新調だんじりはできないだろうというふうに言われていたように思うのです。しかし、新調するまで分からなかったことですが、実際につくっていくと確かに昔のものも立派ですが、今のだんじりも、そこそこのものができるではないか、それどころか、パッと見たら昔のよりも立派なものができるぞというので、次々つくっていったと思うのです。新調することによって、大工さんや彫刻師さんなどの職人さんたちが、自分の腕を競い合った結果、職人を地元で育てていくということもできたのではないかと思います。