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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇地域の情報を都会に

 田舎の人口は減少しておりますけれども、田舎から都会に出て行った人を足し合わせますと、決して人口は減少していないはずです。そのようなことから、販路開拓は自然と地方からの発信となっていったのです。
 内容的にはいろいろ考えましたが、鬼北の里広見町の人たちに少しでもお役に立ち、喜んでいただけることや、広見町から都会へ出て行っている人たちにも喜んでいただけることを考えて、ささやかではありますが、年2回、夏と冬にチラシと手紙と絵はがきなどを入れたお便りをお送りすることにしたのです。そして、大切なことは、その内容を充実したものにし、心からの思いを込めて発信することだと考え、チラシの裏面は、鬼北の里の文化的なことやふるさとの報告、紹介などにすることにしました。
 また、テレビのコマーシャルには、こんな自然豊かな緑と清流の町、広見町に住んでいる者の務めのような気持ちで1回目は成川渓谷(なるかわけいこく)の紹介にしました。成川渓谷に皆さん行かれたことがあると思うのですけれども、私は何かありますと、この渓谷の一番奥に行って、山を見上げるのです。そうすると、山懐に抱かれてという言葉がありますが、それと同じように、すごく壮大な鬼ガ城山系の山肌に囲まれて、自分が洗い流されるようなそう快な気分になります。
 2回目は、鬼北文楽保存会が結成され、皆様が熱心に練習をしておられるということを聞き、その練習場へ行き、協力してもらって、「傾城阿波の鳴門」に出てきますお弓の頭を平成2年6月から平成8年10月まで6年間コマーシャルに流し続けました。現在は、太鼓集団「さきがけ」を毎週、月曜日と金曜日の2回入れております。
 最初のころは、直接販売が主力で店とかスーパーには置いておりませんでしたので、すぐに売上アップにはつながりませんし、コマーシャル料も負担が大きくて大変でした。やめようかと思ったことも正直言ってありましたが、配達に行った時に、おじいさんやおばあさんたちが、「テレビのコマーシャルに出とったで。」と、本当にうれしそうにおっしゃるのを聞いたり、学生さんにも言われたりすると、やめるにやめられず、頑張ろうと思い続けてきました。また、全国のいろいろな人たちから、励ましやお礼などのお便りをいただくようになりました。その中のほんの一部ですが、鬼北文楽に関するものを、紹介させていただきます。
 若い人たちからは、「ふるさとを再認識しました。」とか、「広見にこんな芸能があったことを知って驚きました。文楽といえば、『あれ、なあに?』と思っていましたけれども、コマーシャルを見ていて、親しみが持てるようになりました。」といったものです。また、年配の人の中には、「とても懐かしい。昔はほかに娯楽がなかったので、本当に楽しみに見に行ったものですよ。文楽の頭は、今どこに飾ってありますか?」と、店舗に来られた人も何人かいました。
 関西の人からは、「こちらにも文楽がありますが、どうか鬼北文楽も頑張ってください。」という励ましのお電話もいただきました。また、うちの社員から、「奥さん、今日、高校生の娘が、学校で先生に、『今朝の新聞の中のチラシ見たか。とてもいい勉強になるチラシが入っていたから、読んどけよ。』と言われたと、帰って一番に話してくれました。」と言ってもらった時には、本当にうれしく思いました。
 長野県の方からのお便りは、とても残念なお便りなのですが、ちょっと読ませていただきます。「高田様、いつもお心のこもったお便りをいただき、ありがとうございます。私どもで8代続いた家を壊し、新築し、ようやくほっとしております。私どもが若いころに亡くなりました祖父は、寛保3年(1743年)から続いている古田人形浄瑠璃の三弦をしておりましたので、古い家の2階にそれらの古文書が入った箱がありました。元気でいるうちに、いろいろな話や文章を見て、聞いておけば良かったと残念に思っております。ようやくどうにか整理がついたように感じるこのごろです。わずかで申し訳なく存じますが、商品をお送りくださるように、よろしくお願いします。鬼北文楽の絵はがき、ありがとうございました。」
 このように、全国にも大きな反響がありました。年2回の地方からの発信ですが、いまではチラシの裏の文化的なことの発信を、楽しみにしてくださる人が増えてきました。最初はチラシの枚数も3万枚ぐらいでしたが、現在では15万枚になっております。
 ちょっと鬼北文楽とは外れるのですけれども、「いつも季節のお便りありがとうございます。変わりゆくわがふるさとを懐かしく思い出しております。いつも鬼北の里の様子がよく分かるお便りを楽しみにしております。主人とも、里は吉田町法華津(ほけつ)ですが、やはり懐かしいです。」というのもありました。
 チラシとお手紙と麦の穂を送ったことがあるのですが、その時には、「ふるさとを 忍ぶよすがに 麦の穂を 送りきし人の 心根に泣く」というお手紙をいただいたり、また、東京の方からの「お金ではなく、豊かさを売っていただきたいと思っています。私は東京生まれの東京育ちで、ふるさとがないと思っていましたが、今は違います。鬼北の里、広見町が自分のふるさとだと思っています。」というお手紙には、胸が熱くなりました。
 お客様からこのような心のこもったお便りをいただけるのは、私たちの至らないながらも一生懸命な誠意をおくみ取りいただけたからではないかと、とてもうれしく思うとともに、真心込めた商いをしていかなければならないと思っております。健康を守る食生活の一端を担うものとして、安全な商品づくりに精進し、責任を果たせるよう、より一層の努力をしていきたいと心に念じております。また、これはよく主人が言う言葉なのですが、「地域を愛し、地域と一体となった行動をしていきたい。」とも思っております。
 一度は雪に埋もれ、一度は炎に焦げた人形は、生まれ変わって鬼北文楽となり、今、私たちの目の前にあります。今後、鬼北文楽が伸び伸びと成長され、郷土の伝承文化として、上演され続けますことを願っています。そのために私たちのできることは、若い人たちを誘って、文楽の公演を見ることだと思います。また、見ることによって、私たちに安らぎを与えてくれることでしょう。
 鬼北文楽の今後ますますの発展を願って、皆で協力していきたいと思っています。ご清聴ありがとうございました。