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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇鬼北文楽としての新たな出発

 火災にあった人形の修復は、菊澤先生・富山後援会会長を始め多くの方々の御努力によりまして昭和58年(1983年)に完了しました。それを受けて、昭和59年に文楽愛好会ができ、昭和61年になって「鬼北文楽保存会」が発足し、以来毎週火曜日に定期に練習しています。
 文楽をやる場合に、一番大事なことは、目標(お手本)をしっかり持つことだと思います。現在、我々には師匠がおりませんので、大阪文楽のビデオを参考にしております。ただ、人形が大きい阿波の人形ですから、本当は阿波の人形の指導者が欲しいのですが。思うようになりません。
 それから、やはり若い人を育てないと、駄目だと思います。過去の鬼北文楽を例にとってみますと、あのころは、中年層の人たちが、自分たちが人形を遣うのが主で、若い人たちが習いたくても譲らなかったし、教えもしませんでしたので、若い人たちが育たなかったのです。その結果、年寄りの人が死んだら若い人も後を継げないということになってしまったのです。一方、浄瑠璃の方も、途中で人形が入り、人形遣いが主体となり、浄瑠璃を継ぐ者がいなくなったのです。過去の経験をもとに、浄瑠璃の方をなんとかしたいと思い、焦っておるのですが、幸い「傾城阿波の鳴門」に限りましては、語れることができる女の方ができました。実は、今日披露しようかと思っておりましたが、明日宇和島市で語ってくれることになっておりますので、今日は私がやりました。
 終わりに、地元の皆さんに特にお願いしたいのは、農業でも同じことだと思うのですが、若い人たちを育ててもらいたいということです。