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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇巨樹と日本文化

牧野
 最後に、巨樹と日本文化について申し上げたいと思います。まず、日本が木の文化であるということは、もう申し上げるまでもありませんが、あとの議論になるかもしれませんので、一つ分かりやすいお話をいたしたいと思います。
 今の若い人は自分の意志でカップルになって、教会で結婚式をあげて、初詣は神社に行って、亡くなったらお寺にと、なかなか使い分けをうまくやっているというか、要領がいいというのか、だいたいそうなっています。しかし、昔はほとんどの人は、お見合いをしたのです。なぜお見合いをしたかということの私流の解釈を申し上げると、それは植物の影響なのです。どういうことかと申しますと、植物にはオシベとメシベがありますが、それだけでは実がなりません。そこには、ミツバチやチョウチョウが花粉を運んで実がなるわけです。そうすると、このオシベとメシベという立場から見れば、ミツバチやチョウチョウは、仲人になるわけです。仲人がいて、実がなるわけです。昔の日本人のお見合いにも仲人がいて、結婚式だと言うと雄蝶雌蝶(うちょうめちょう)と言って、ちゃんと盃をかわすでしょう。そう考えると、日本の文化の底流にあるのは、植物系の文化じゃないかということです。
 それから、今、全国には、京都の八坂神社を勧請(かんじょう)しまして、あちこちに八坂さんがありますが、これは植物の分(ぶん)けつ(イネやムギなどが根に近い茎の関節から枝分かれすること)の理論なのです。つまり、一つの株から出ているのです。例えば、「おたくには、いいアヤメやショウブがある。一つ分けてください。」と言って、よそのうちから株分けをしてもらって、増えていくのです。そうすると、日本の家族制度は、動物系の文化圏的な繁殖によって増えるのではなく、植物が増えていく分けつの論理というものがあるのではないかと思います。
 テレビや新聞が「日本政府は苦しい対応を迫られています。政府の対応の出方が注目されます。」と言うのをよく聞くことがあります。表現の仕方は別として、なんで、そんなに対応しなければならないのか、出方が注目されるのか、日本政府はさっと動いたらいいではないかという話になるのですが、私の理論から言えば動けないのです。なぜかというと、日本は植物系の文化なのです。植物というのは物を言わないし、勝手にも動けないので、崖(がけ)っぷちに立つ木は、川にはまらないように幹をくねらせていくし、向こうから北風が吹いて来ると、カーブして風をよけながら枝を伸ばしていくのです。これが日本政府の国際社会に対する対応なのです。ですから欧米の論理で、日本人の行動を考えていくと矛盾点が出るのです。そこのところが分からないから、ジャーナリズムや文化評論は、「日本が遅れている。」というのです。そうでなしに、日本人の精神の根本構造というものを考えていくと、植物とのかかわりが非常に深く、植物的な生き方というものをモデルにして出来上がったのが、日本の文化の特質ではないかと、私は思うのです。