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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇架橋時代に向けて

 水軍ふるさと会は、10年間水軍の歴史にこだわり続け、イベント活動に実績を残してきましたが、これは水軍の歴史に基づいた本物のイベントを実施した結果だと思います。また、町内活動にとどまらず、島外や県外と幅広い交流を実施したことが、水軍レースや今回の厳島合戦再現イベントの成功に結びついたと思っております。そして、一番大事なことは、水軍に関係した海のイベントは、宮窪町だからこそできたのだということです。組合長さんはじめ宮窪町漁業協同組合の皆さんが、全面的にボランティアでイベントに協力してくれたからこそ実現できたと、私は感謝をしております。
 そして、うれしいことには、宮窪町では水軍ふるさと会以外にも、二つの町おこしグループが誕生しました。先程岡田さんからも紹介がありましたが、平成4年、21名のメンバーで「石彫サークル」が発足しました。このグループは、宮窪町の地場産業である大島石の廃石を商品化し、墓石以外にも販路拡張を目指しておりまして、石の町としてのイメージアップにも貢献してくれるものと期待しております。
 昨年(平成8年)には、31名のメンバーで「宮窪水産研究会」が発足しました。豊かな海を取り戻し、将来にわたって漁業が続けられるようにと、網にかかった空き缶やゴミを持ち帰る運動を続け、今年3月には、日本一うまいと言われる宮窪の魚のPRのために、「宮窪漁師市」を開催しましたが、当日は町外からたくさんのお客さんが訪れました。
 また、商工会、農協婦人会などにも呼びかけ、町を挙げての朝市が、毎月第1日曜日に開催されるようになりました。しまなみ海道開通時には、観光バスを呼べる朝市にしたいと、関係者は大きな期待を寄せております。
 宮窪町には、能島水軍の歴史、地場産業の大島石、日本一おいしい魚、味のいい島ミカンと、素晴らしい観光資源がたくさんあります。橋の開通に向けて、これらを生かした観光地づくりができるかどうかは、私たち住民が力を合わせて取り組めるかどうかにかかっていると思います。
 観光の核となる施設づくりは、行政サイドでやっていただきたいと思います。まず新しい水軍資料館の建設が必要だと思いますが、観光バスが止まれる駐車場、観光客が利用できる食堂、特産品売場も考えなければなりません。場所としては、第9次漁港整備が進んでいる養殖場沖埋立地に魚市場と併設すれば、魚や海産物も観光客に販売できると思います。非常に難しいと思いますが、能島城の復元が実現できれば、瀬戸田町、大三島町に続く観光地になるものと確信しております。
 ホテル、民宿、食堂、土産物店については、民間サイドで計画していただくのが良いと思います。宮窪町の基幹産業、大島石は、現在、安い中国産の石が大量に輸入され、以前のような価格の値上げは望めない状況です。採石場も深くなり、再開発の山が多くなっておりますので、以前のような採掘量は期待できないと思いますし、将来の埋蔵量も限りがあります。したがって、大量に出る廃石の活用が重要となってきておりますので、商品開発資金の投資も考える必要があると思います。また、石の町としてのイメージアップのため、石のモニュメントを町中に1年に1個ずつでもいいから残していきたいと思います。
 平成11年の橋の開通に合わせて、こうした観光客受入れ準備ができれば、べストだと思いますが、これからではとても間に合わないと思います。このビッグチャンスに何もしない、また何もできないでは、我が町にとってはあまりにも夢がないと思います。平成11年春から秋にかけての半年間、1市(今治市)5町において、架橋イベントが計画されますが、私たちは、宮窪町において「伊予水軍歴史パノラマ展」を開催するように提案しております。壇の浦の戦い、厳島合戦、木津川口の戦いなど、水軍が活躍した場面を歴史復元画家、香川元太郎先生に描いていただき、子供さんからお年寄りまで、分かりやすく見ていただくとともに、水軍を広く、大勢の人たちに知ってもらいたいからです。この会場の後ろの方に2枚展示してあります、あの絵のことです。
 歴史パノラマ展には、小早船や能島の模型、大島石で作った兵馬傭(へいばよう)などを展示し、中世の雰囲気を出したいと思います。このイベントが実施できれば、将来の観光地づくりに大いに役立つものと思われます。
 以上、物による観光地づくりの話をさせていただきましたが、大事なことは、町民の皆さんの協力なしには観光の町はつくれないということです。人のため、町のため、自分から進んで何かをし、しかもそのことを自分の喜びとすることができるボランティア精神を持った方が多ければ多いほど、明るく豊かで住みよい、自慢できる町になると思います。また、それくらい魅力のある町でなければ、観光客は来てくれないと思います。
 大島には島四国があり、お遍路さんに対するお接待や、善根宿という、島独特の素晴らしい習慣が残っていますが、これこそが島の良さであり、ぜひとも後世に伝えていただきたいと思います。
 私は、水軍ふるさと会という町おこしの仲間といっしょに10年間活動してきましたが、多くのすばらしい人たちとめぐり合うことができ、同志と呼べる仲間もできました。しかもボランティアの大切さを知ることができ、大変感謝しております。
 現在宮窪町では、1万人いた人口が4,000人を切って、高齢化と過疎化が進んでおり、残念に思うと同時に、将来に不安を持っております。私は、観光協会の一員として、観光面から町の活性化を図りたいと真剣に願っておりますので、今後とも観光協会に御協力くださいますようお願いして、私の話を終わらせていただきます。ありがとうございました。