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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇水軍ふるさと会の歩み

 皆さん、こんにちは。水軍の歴史については、諸先生方が専門的なお話をしてくださいましたので、私の方は、水軍に関係したイベントを中心に話をさせていただきます。
 私が水軍の歴史に興味を持つようになったのは、昭和62年(1987年)に、仲間10名とともに「水軍ふるさと会」という町おこしグループを結成して活動を始めてからです。それまでは、能島についても、花見をしに行く島であって、村上水軍の総大将村上武吉の根拠地で歴史上重要な島だとは、全然思っておりませんでした。能島の水軍には、昔、能島から鵜島の矢島に向かって弓の練習をしていたという言い伝えがありますので、水軍ふるさと会では、それが本当にできるかどうか試してみることにしました。大島高校の弓道部の生徒さんに、能島から鵜島まで矢を射てもらったのですけれど、本当に矢が当たりました、標的に。これが、水軍ふるさと会のイベントの始まりでした。これがきっかけで、「能島水軍弓道大会」が、毎年8月に行われるようになりました。
 昭和63年から5年間、3島5町(大島・伯方島・大三島、吉海町・宮窪町・伯方町・上浦(かみうら)町・大三島町)の商工会青年部の人たちと、「NHK大河ドラマを呼ぶ会」を結成し、活動しました。作家城山三郎さんの小説、『秀吉と武吉』を大河ドラマに取り上げてもらって、全国から大勢の観光客に来てもらおうという計画でしたが、これは残念ながら成功しませんでした。
 平成2年(1990年)に愛媛県で、第5回国民文化祭が開催されました。この時は、5町の町長さんに、各町で1隻ずつ小早(こばや)船を建造して、一緒に水軍レースをやりませんかと呼びかけたのですけれど、実現せず、宮窪町だけが2隻建造して、能島水軍レースを始めました。平成5年になると、隣の吉海町さんと伯方町さんが船を建造してくれて、3町主催の一回り大きな水軍レースが開催されるようになりました。その模様は、テレビが毎年1時間番組として放映してくれている関係もあり、参加チームが年々増え、今年は79チームの参加があり、選手も950名という、瀬戸内海を代表する海のイベントになってきました。
 水軍レースを通じて交流が始まった宇和島市遊子(ゆす)では、毎年龍王祭の日に押し船大会を開催しておりますが、私たちも来週の(9月)18日に3チームで参加するようにしております。もちろん、向こうからも毎年レースに参加してくれております。
 平成5年、伊予市で開催された、「豊かな海づくり大会」にも参加し、天皇皇后両陛下の前で船を漕(こ)がせていただいて、実際に小早船を見ていただきました。大分県玖珠(くす)町の町おこしグループ「森本町(もりほんまち)通り軒先(のきさき)市」と、水軍ふるさと会が1年がかりで計画した水軍交流会が、来島水軍の末裔(まつえい)230名をこの石文化伝承館に迎え実施されましたが、その時に、宮窪町内から80名の方にボランティアで参加していただいて、玖珠町の人からたいへん感激され、また、喜んでいただきました。翌年には、宮窪町から120名が玖珠町を訪問して、第2回水軍交流会が開催され、それから交流が続いております。以来、玖珠町役場と軒先市の2チームが、毎年はるばる大分県から宮窪町の水軍レースに参加をしてくれております。
 今年は、NHKの大河ドラマで、御存じのように「毛利元就」が放映されているのですけれども、この中にやっと村上水軍が出てきました。私たちが夢に描いていた大河ドラマに村上水軍が出てきました。そこで私たちは、10年間温め続けていた計画を実施することにしました。今から442年前(1555年)、毛利元就と陶晴賢(すえはるかた)が安芸(広島県)の宮島で戦った厳島(いつくしま)合戦は、歴史上においても日本三大奇襲として有名な戦いなのですが、我々の先祖村上水軍は海上100kmを小早船で漕いで漕いで漕ぎぬいて、毛利軍に味方して、劣勢と言われていた毛利軍が勝利したという歴史があります。私たちの計画は、442年前にタイムスリップして、当時と同じ五丁櫓(ごちょうろ)の小早船で厳島合戦出陣を再現して、二日間かけて、宮島まで船を漕いで行こうという勇壮な計画です。
 計画を実行するため、4月に宮島町を訪問し、観光協会長さんにあって、私たちの計画を話して協力をお願いいたしました。幸いなことには、会長さんが47歳という非常に若い方であったことと、厳島神社が、昨年(平成8年)、世界文化遺産に登録されて、記念に何かイベントをやろうという計画中でありましたので、話がトントン拍子に進みまして、「村上水軍、厳島合戦への道、体験ツアーイベント」が、両町観光協会によって実施されることになりました。
 イベントの開催日は、大河ドラマの厳島合戦の場面が、10月ころに放映されるということでしたので、それより前に、そして満潮時に、宮島の大鳥居を小早船でくぐろうということで、8月の23日と24日の二日間に実施することにしました。6月にもう一度コースの下見のために、船で宮島まで走ってみたのですけれど、道路を車で走っていたらすぐみたいなのですけれども、非常に遠くて、これは本当に二日間で漕いで行けるのだろうかと、大変不安になりました。
 大山祇(おおやまずみ)神社(大三島町)で安全祈願をして出発するようにしたのですけれども。グッドタイミングというか、ちょうどその時に、大三島では鶴姫行列というのがありまして、協力してくれないかとお願いしたところ、早朝にもかかわらず、鶴姫さんや町長さんがイベントに参加してくれて、大会を盛り上げてくれましたし、桟橋から見送ってもくれました。また、途中通過する音戸町(広島県)では、今回の計画を新聞で知った方が協力を申し出てくれ、平清盛太鼓が船上で出迎えてくれたり、海岸線にたくさんの旗を立ててくれたりして、町を挙げて出迎えてくれるようになりました。
 実行委員会には、町長さんをはじめ50名が参加し、二日目の24日には一般見学ツアー60名が海上タクシーから応援するということになりました。漕ぎ手は、広く一般の方にも参加してもらおうと公募したところ、奈良県や伯方町、吉海町からも参加者がありました。
 当日の23日は真夏日の大変暑い中、イベントが始まりましたが、新聞社やテレビ局がたくさん取材に来られておりました。沖に船を漕ぎだすと、船の上をヘリコプターとかセスナ機が飛んでおりました。テレビでは3回にわたって全国に放映されたり、小早船が鳥居をくぐる場面がカラーで新聞の1面を飾るなど、今回のイベントは各方面の報道関係に大きく取り上げていただきました。私たちが、第一目標にしておりました村上水軍の歴史文化を、全国に向けて情報発信ができたと、大変喜んでおります。
 宮島町の方からは、これを機会に、両町の交流を始めませんかという申込みがあります。世界文化遺産である厳島神社を持つ宮島町は、年間に300万人の観光客が訪れる、日本を代表する観光地です。平成11年のしまなみ海道開通時に、観光客を誘致して、町の活性化を目指す宮窪町にとっては願ってもないことだと思います。