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わがふるさとと愛媛学Ⅳ ~平成8年度 愛媛学セミナー集録~

◇海と文物の交流

 先ほどの加藤先生のお話にもありましたように、中世、瀬戸内海というのは、わが国の海上交通の中で最も大事な交通路でした。この風早も海に面していますので、その海を除いては、風早の文化は考えられないわけです。そこでこの風早に、よその地から運ばれてきた物をいろいろと考えてみたいと思います。
 まず、サヌカイトがあります。それは香川県の五色台方面から、こちらへたくさん運ばれてきています。この岩は、ナイフ型石器という今から約1万7,000年ぐらい前の石器であるとか、角錐(かくすい)状石器、これもそのころになるかと思いますが、そういう旧石器時代のもの、あるいは縄文時代、弥生時代の石の矢じりであるとか、あるいは石包丁(稲の穂を摘み取るもの)などに使用されていたわけです。
 それから、黒曜石(こくようせき)です。大分県の国東(くにさき)半島の沖合に、姫島という小さい島があり、その島の観音崎というところは岩全体が黒曜石ですが、そこの黒曜石も運びこまれています。また、砥部川(伊予郡砥部町)の近辺からは、石包丁などに使われた緑色片岩(りょくしょくへんがん)、俗にいう青石が来ています。
 土器では、庄内式壷(つぼ)。これも当館に展示してありますが、大阪方面から来ています。あるいは東海系の甕(かめ)、これは伊勢湾の沿岸からです。いずれも北条の沖の鹿島から出土したものですが、海上交通によって持ち込まれたものだと考えられます。
 陶磁器としては、愛知県の猿投(さなげ)焼、岡山県の備前焼、香川県の十亀(そがめ)焼、それから中国でつくられた青磁なども運びこまれています。ほかに、中国で使われていた中国銭もあります。そういう文物の交流には、必ず人間がかかわっているわけです。それがこの瀬戸内海を通じて行われたということができるかと思います。