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わがふるさとと愛媛学Ⅳ ~平成8年度 愛媛学セミナー集録~

◇遍路道

正岡
 ありがとうございました。毎日6kmを続けて歩くと、1年で二千何百kmになるということ、つまり継続は宝であり、力であるということを、分かりやすく具体的にお話いただきました。また、私がたまたま今年の7月に1週間ばかりウィーンにいたものですから、それを思い出して、非常に懐かしくスライドを拝見しました。
 私は地元の人間の一人として、三つばかりお話をさせていただこうと思います。あとのワークショップで矢野先生からもお話があるだろうと思いますけれど、やはり四国の人間は、遍路道について、何かお話をする必要があるだろうと思います。
 佐藤先生は、四国88か所を全部でなく2国(香川県と徳島県)は歩いてお回りになったということです。私もえらそうなことは言えませんで、今2度目を76番の金倉寺まで済ませており、あと1泊2日で2回目が終わるのですが、これも100%家内と一緒に車で回っておりますので、最近の遍路の最大公約数の中の一人かなと思っています。
 この遍路道なのですけれども、平安の末期ごろ、僧侶が修業のために四国の辺地を回って修業をしたというような記事が、今昔物語に出ているようです。しかし、私たちにとりましては、なんといいましても、弘法大師(空海)が8世紀の後半に四国各地を巡歴された、これが四国遍路のさきがけだと思います。江戸時代になって、お大師様の巡歴の跡をずっと巡礼をしていくということで、今の88か所巡礼の道の原型がつくられたといわれています。
 私は、小さい時分には、近所でも名うての悪ガキでして、悪さをしますと、私の祖父から、「お遍路さんに連れていってもらうよ。もう家へおかんぞ。」と言って叱られていましたので、お遍路さんといいますと、何か怖いイメージが残っているのでありますけれども、そういったことを懐かしく思い出したりもします。
 お遍路さんの巡礼の四国といいますのは、死の国、死国にもつながっているというふうにもいわれています。しかし、安心立命を求めて、現在では約20万人ぐらいの方が四国を巡られています。佐藤先生は、歩き遍路が願望だということをおっしゃいましたけれども、1年間で歩き遍路をまっとうされる方というのは、1,000人を切ってしまうくらい少なく、そのくらい難行苦行だといわれています。
 そうはいいながらも、10年前に私が回り始めたころに比べますと、最近はずいぶん若いお嬢さんが最新の流行のファッションで回っておられます。若い方が、白装束を着たり、けさを掛けているのは、何となく明るい感じで、昔の暗いイメージでなく、新しいお遍路さん像というのが生まれているというのは、本当に楽しいことだという感じを持っています。