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わがふるさとと愛媛学Ⅲ ~平成 7年度 愛媛学セミナー集録~

□ふるさと再発見 ―愛媛学成立への提言―     コーディネーター:門田 邦彦

 失礼いたします。残りの時間は、当初は午後3時45分ぐらいまでと予定していたのですが、本日は台風が接近しておりまして、講師の先生方も、飛行機で大阪までとか、また関前村へ船で帰らなければいけないという方もいらっしゃいますので、主催者から、あとの時間を繰り上げてほしいという申し出がありました。
 会場の皆様にとりましては、4人の先生方、あるいは作道先生のお話などを交えて、これから話が盛り上がっていくという、今日のトーキングの仕上げになるところだったと思うのですが、こういう変更で、まことに申し訳ございません。御容赦願えたらと思います。
 それで、先ほど作道先生がお話をされましたシンポジウムと申しますのは、住友商事株式会社が、文化行事として行っておりまして。松山で行われたのは1993年4月17日です。そのシンポジウムの模様は、4月24日の午前10時半から11時半までNHK総合テレビで放映されましたが、その時の対談と言いますか、4人の方々の発言をまとめて、住友商事が冊子として発行したものがこの本であります。資料としてはこの生涯学習センターにもありますし、私もこの会のためにお借りして読みましたが、松山や、あるいは愛媛について、非常に突っ込んだ話題が出ておりますので。また機会がありましたら、手にされて見てください。
 今日、私たちは11時に集まりまして、12時まで打ち合せをいたしました。まず、4人の方がそれぞれどういうようなお話をされるかということをうかがいまして、次にそれに関して、作道先生の御質問などを織りまぜながら。この会が始まる直前までいろいろな話が出てまいりました。
 その時に話題になりましたのは、まず、チョウの研究であり、あるいは文楽の継承であり、あるいは民家の研究であったり。打瀬船の研究などでした。次にそうした研究などをやっていく上での人作り、仲間作り。さらに、そういう人作り、仲間作りから広がっていく町作りであったり、地域おこしであったりという動き。そして、そういう動きをどうやって人々に訴えていくか、つまり情報発信をどうすればよいかということ。それから、全国の同じような活動をやっている人たちや、そういう地域とのネットワーク作りとか支援の輪作りなどの方法はどうすればよいかという問題について。さらにはそういう一つ一つの活動が、愛媛学とどのようにつながっていくかということなどなど。このようなことを作道先生の御指導をいただきながら、話し合ってまいりました。
 本当はこの最後の場でトーキングの話題に、「他の地域とのネットワーク作りはどうされていますか。」とか、「人作りはどうされていますか。」というようなことを織りまぜていって、そして最後に作道洋太郎先生にまとめていただくという予定でおりましたのですが、そういうことができなくなりました。
 先ほどの打ち合わせの場で、関前の船越さんが「私たちの活動を御紹介する中で。『どこにでも、身近な足元に見直すべき素材というものがありますよ。』ということを提供してみたい。」と、いみじくもおっしゃられたのですけれど、本当にそのとおりだと思います。
 私たちの住んでいる松山市というのは大きな町なのですが、その松山市の中の、たとえばこのあたり、あるいは久米(くめ)だとか道後だとか。あるいは垣生(はぶ)だとかというそれぞれの地域に、何か足元に見直さなければいけない、あるいは掘り起こしてみなければいけないものが一杯あるのではないだろうか。そして、そういうものを見つけだした時に、 「じゃあ、それを何とかすることはできないか。」というふうに考えて行動していくのが、これからの愛媛学ではないだろうかと考えております。
 私事になるのですが、たとえば私が今、トラフィックアートという道路の研究会を何人かでやっているのですけれども、荏原(えばら)、坂本ですか、この会場の少し先なのですが、そこに昔の土佐街道と呼ばれていた道が埋もれているのだそうです。それを今度いっぺん歩いてみようじゃないかというようなことで、三坂(みさか)峠まで、ふもとから歩いてみて、そこに何か掘り起こせるものがないか考えてみよう、というようなことを計画しております。
 このようなものがいろんな所にあって、そしてだれかが思い付いて「やってみよう。」というのろしを打ち上げてみたら、賛同する人たちが集まってくる。ここに集まった皆様方が、そののろしを上げる中核になっていただけたら、主催者の方も大変喜ばれるのではないだろうかという感想を述べて、まとめとさせていただければと思います。今日は本当に参会の皆様、ありがとうございました。