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わがふるさとと愛媛学Ⅲ ~平成 7年度 愛媛学セミナー集録~

◇愛媛の文化ポイントのネットワーク化と全国への発信

 最後に、レジュメのCで、1、2、3、4、5と書いていますが、1が今申したような歴史の中から何かつかみ直そうということです。それから2の文化の一村一品運動、これは大分県の平松知事が得意なところだと思います。
 それで先ほど、4人のパネラーの方々から、大変興味深いお話を伺いまして、まさに非常に優れた意味での一村一品のお話だったように思うんです。ですから、このような文化ポイントのネットワークと言いますか、つまり愛媛県では、いろいろな文化財があったり、観光資源があったり、歴史遺跡があったりいたしますけれども、そういうものをどういうふうにネットワークの中に組み込んで連動させていくかが今後の課題ですね。そしてこのネットワークの中心には、もちろん愛媛県がいて、旗を振ってくださるのがいいわけです。
 戦前から文化の振興には必ずパトロンがいたのです。懐徳堂は鴻池と住友が資金を出して、学問所ができたんです。あるいは松山藩の藩校は久松家が資金を出してできたのです。パトロンは、大名であることもありましたが、だいたいは町衆がそういう役割をになっていました。
 では現代のパトロンはというと、やはり県であったり市であったり、町村であったりするわけです。行政が文化の旗振り役として中軸になってネットワーク作りをやっていただいているわけでありまして、それが21世紀を目指しての、愛媛県の文化振興の新しいネットワークではないかという気がしてならないわけです。
 先ほどのアメリカ渡航のお話でも、もっともっといろいろなケースがあるかと思います。文楽で、大阪文楽と俵津文楽の話がありましたが、現在の大阪文楽のパトロンは、一つは大阪商工会議所なんです。やはりパトロンは、そういう行政とか財界とかにお願いしたいと思います。松山商工会議所などにもお願いをして、バックアップして頂けたらいいなと思います。
 民家のお話もありましたが、私は古い街並みが好きなんです。この間、ロシアへ行きまして、サンクト・ペテルブルグの大通りネフスキー通りを歩きましたが、その街並みの古い建物がすごいですね。17世紀か18世紀のものが多い。松山は、いい街並みがたくさんあったんですけれども、それが戦災で焼けてしまいました。今からでもその街並みを復元してもらえないかと思います。
 路地のこともありますね。京都は路地が多数残っています。京都へ行っていいのは、ヨーロッパの都市のように市中に路地が多いことなんですね。大通りではなくて、生活の道、リビング・ストリートなんです。松山にも、戦前にはずいぶんいいリビング・ストリートがあったのです。
 北京へ行かれた方は多いと思いますが、北京に胡同(フートン)という路地があるんです。これは数百の路地ですね。そして上海にも路地があります。里弄(リーロン)と呼ばれています。これも路地なんです。しかし、スケールが圧倒的に北京の胡同というのは大きいですね。北京の天安門のすぐ近くに、北京飯店という古い大きいホテルがあります。その横に見える王府井(ワンフーチン)大通りには、14、5の胡同があるんです。清代やそれ以前の中国の人々の、なんとも言えない生活のにおいがあるように思うのです。松山にも随分そういう路地がありました。大街道とか、湊町の周辺には多くの路地があった。正安寺町なども面白い路地でした。
 それから、先ほどお話のありました「チョウの島」のアイディアもすばらしいですね。私はこのレジュメのCの3に「芸予諸島に海城の再現」と書きました。海の城です。大島の横の能島(のしま)という島ですね。島全体がお城になってたんです。それが伊予水軍の基地だった。日本の海軍の発祥の地かもしれませんね。ひょっとしたら、能島あたり、そういう村上氏などの海軍の痕跡があったかもわからない。
 また香川県の塩飽(しわく)諸島というのは、江戸時代から、支配者の封建領主がだれもいなかった島だったんです。つまり近世日本の封建制の枠の中に入っていなかった島が塩飽諸島でした。ですから、この愛媛県と広島県の間の芸予諸島の中にも、支配者がいない島があったかもしれない。塩飽諸島はだれも支配しないけれども、もし何か起こった時は、幕府のために奉公しなければならないという、そういうオブリゲーションはあったようです。けれども、直接年貢米を取るとか、運上金(うんじょうきん)を徴収するとか、冥加金(みょうがきん)を取るとか、そういう課税の対象にはなっていない島がこの塩飽諸島であった、ということが語り伝えられています。私は。この能島には行ったことがないのですが、能島の「海城」には非常に興味があります。愛媛県の山城には松山城があり、そのほかにも伊予八藩ですからお城や陣屋は多いのですが、海の城というのはあまり知られていない。
 文化というのは仕掛けとネットワークだと思うんですが、やはり情報を発信しなければいけない。受信だけではダメであって、愛媛県にはいろんな文化装置が本当にたくさんあるのですから、その情報発信が必要です。今日は四つのケースの文化装置の発表をお伺いしましたが、四つともに全国や海外に向けて発信ができる装置が必要ですね。だから、いろいろなマスメディアと愛媛県庁が中核になって、そういう発信装置を、21世紀に向けて構築していただきたいなと思いました。
 それでこのCの四つめの「よもだ寄席」というのは、これも住友商事のシンポジウムからの提案なんですけれども、やはり「よもだ」というのは、わかったようでわからないようなものなんです。そこにはやはり、伊予人の持っている「間」の持ち方と言いますか、真正面に見るのではなくて、はすかいにものを見る気質がよく表れていると思うのです。
 正岡子規の肖像には正面の肖像がなくて、全部プイと横を向いている顔だそうです。あの子規のポーズが「よもだ」なんですね。ちょっと横を向いているところが、やはり松山の人間の気質を表すポーズなんですね。そういう寄席を作って、つまり大規模な寄席ではなくて、300から400人ぐらいの中規模の寄席を作って、そこでいろんなイベントをやったらいい。
 そして御存じのように、東日本には「雪月花」の生活文化や美意識があるが、西日本は「海と雲と花」の基本的な生活感覚があるという。そこに西日本、あるいは愛媛や四国の持っている特色があるんじゃないかなというような気がするわけです。この点については、お話する時間がなくなりました。そのほか、レジュメに書いていることも、かなり多くの部分に立ち入ることができませんでした。
 今日は、大変不統一な、また「よもだ」みたいな話ばかりいたしましたが、御静聴いただきまして、ありがとうございました。

  〔文献〕

(1)田中歳雄『愛媛県の歴史』(山川出版社、昭和48年)
(2)景浦勉『伊予の歴史(上・下)』(愛媛文化双書刊行会、昭和49年・平成7年)
(3)大阪市・大阪都市協会編・発行『大阪学講座なにわを築いた人々』、
                              朝日カルチャーセンター編集協力(平成4年)
(4)住友商事編・発行『地方文化の復権 第8回未来を予感する瀬戸内文化の潮流』
                                        (住友商事広報室、平成5年)