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わがふるさとと愛媛学Ⅲ ~平成7年度 愛媛学セミナー集録~

◇これからも、海抜きでは宇和島は生きていけない

 宇和島のほうはリアス式の地形ですので、陸から網を引っ張る「地引き網」が、岩に引っ掛かるのでできないんです。それで、これは一つの特色なんですけれども、宇和島藩では、2艘(そう)の船で網を引っ張る「船引き漁」が、はやってきた。
 明治以降になりますと、船の改良もありまして、光を使って魚が頭を突っ込んでくるのを獲る「さし網」と言う漁法に変わります。さらに、時代の進歩とともに大型船ができてきますから、「巻き網」漁法になり、結局今度は、魚を獲り過ぎてしまうんです。そして、魚がいなくなりますので、現在のような、「作る漁業、養殖漁業」になっていくわけです。
 さらに、のちほど村上さんから話があると思いますが、海の恵みを真珠養殖の形でも受けるようになってきた歴史もあるんです。
 確証はございませんけれども、宇和島藩はいろいろな苦難に耐えてきただけに、「ある意味では、従順な性格が身に付いていてジーッと我慢する、またある意味では、進取の気性に多少乏しいけれども、貧しいがゆえに食うことに対してもいろんな研究が進み、食文化も進んできたのではないか。」という気もいたします。
 要するに、今からもまた、産業にしろ、観光事業にしろ、すべての面で海を抜きにしては、宇和島が伸び、生きていく道がないんだなというふうに、私は考えております。