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わがふるさとと愛媛学Ⅲ ~平成 7年度 愛媛学セミナー集録~

◇昭和以降の変遷①

 昭和20年代後半、私が小さい子供のころは、4月の祭りはまだまだにぎやかでした。

 (写真1)
 昭和初期の宮浦港です。まだ船は帆で走る帆船でした。時がのどかに流れて穏やかですが、私は見たことがありません。


 (写真2)
 昭和3年(1928年)に、大三島町で最初に宮浦港の桟橋ができておりますが、そのころのものです。帆船からエンジンを取り付けた船になっています。このころはまだまだ海上交通が主体でしたが、大三島を訪れる人も多くなりました。


 (写真3)
 昭和30年(1955年)ころの新地町の様子です。まだ車はなく、自転車が主役のようです。鏡村と宮浦村が30年に合併し、翌31年には岡山村と合併して、戸数2,916戸、人口1万3,147人で、現在の大三島町ができております。今年(平成7年)は町制施行40周年になるわけですが、7月末現在の統計では、なんと戸数は2,122世帯、人口4,972に激減し、過疎高齢化率は県下一に迫っております。
 話は元に戻りますが、昭和30年代、4月の祭りはまだまだ賑(にぎ)やかでした。お宮の境内には、芝居小屋やサーカス小屋などの見せ物が来て、それはそれは賑やかで、祭りの期間中は、ワクワクして眠れませんでした。


 (写真4)
 今、商工会の事務所になっている所の、「蛇首(じゃのくび)」の写真です。ねずみ山が写っております。


 (写真5)
 当時の4月の祭りの参拝客の様子です。あまりにも参拝客が多く、道幅の狭い所では、押されて海に落ちる人もいたようです。