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わがふるさとと愛媛学Ⅲ ~平成 7年度 愛媛学セミナー集録~

◇大山祇神社との関係

 では、その場所と大山祇神社様とは、どういう関係があるのでしょうか。
 土器を掘り出した先ほどの山の隣に、もう一つ、宮浦の上条の方の個人所有の山があり、その下の山は、大山祇神社所有の山なんです。これが重要です。現在では、このように個人の山になっているけれども、弥生時代の終わりから古墳時代の始まりに当たる1700年前には、おそらくその谷全体が、大山祇神社のものであっただろうと考えられるのです。
 ある日のこと、仕事をしておりましたらお昼のサイレンが聞こえたので、「ああ、お昼か。」と思ってヒョッと顔を上げて見ますと、その場所から南のほうに、先が尖った非常に姿のいい山があって、その山の真上にお昼の太陽があるわけです。「オヤッ。」と思って磁石を置いてみましたら、その場所から真南です。
 それで、「なぜこの谷の奥に、土器が出てくるような所があるのか。」は、まだ謎の域を出ませんけれども、おそらくそこは、大山祇神社の稲作のまつりごとをする場所であったのだろうと、私は考えております。
 大山祇神社については、講師の先生方、あるいは宮司様、それぞれのお立場からのお話をお聞きすることができましたが、ここでは、大山祇の神様の大事な御神格の一つとして、稲の神様であられるということを、この土器と、それから稲の穂刈りの石包丁を御説明することによって、御納得いただきたいと思うわけです。
 私が申し上げるのは以上です。