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わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~

◇農業改良普及員として地域の歴史や生活文化を学ぶ意味

 私は、8年間宇摩郡の新宮村の方に駐在した。私たちの仕事というのは、農家や、農業などの技術指導というような形でやっているので、このような愛媛学のような話というのは、ちょっと違和感があるのではなかろうかと思う。ただ、もともと若いころから、郷土史にちょっと手を染めて、現在で30年ほど経ち、それが新宮村での活動にもかかわっている。昭和48年4月に、地元の事務所の方に帰り、宇摩郡の新宮村の駐在を命ずるということで、事務所に寄らずに直接家から役場まで行って、役場の産業課の中に席を設けていただいて、そこを拠点に村内へ出る。そのような仕事を8年間続けてきた。
 次第に慣れてくると、新宮村というのは非常に小さい村なので、ちょっと動けば、村内すみずみまでわかるようになる。それで、いろいろ動いておったら、行く先々、応対していただくのがもう、お年寄りばかりである。現在は山間地ではもっと激しいが、はやすでに二十何年前に、過疎化がどんどん進行していた。道を聞くと、何kmとか言わずに、あと隣まで何丁とかいう言い方をされる。そうこうして、非常に、お年寄りと話す機会が増えてくる。そうすると、小さな村でありながら、昔話とか民俗行事、それから農耕儀礼なんかの行事というのが非常に多いことに気付いてきた。
 写真のように、小さなお宮で何軒かが集まって、本物の神主さんではない、地元の神主さんまがいの人が拝む。それに5、6人が参加して、一緒に拝んでいくとか、あるいは夏の数珠祈禱(じゅずきとう)とか、虫祈禱等の行事がある。牛を使って田んぼを耕耘(こううん)するなど、そんな事がふんだんに出てくる。ところが、村内の人はそれがごくごく当たり前というか。珍しいとか、貴重なものだという認識が全くない。そこで、私も「これは大事なものだから」といろいろと申し上げたり、啓蒙といった形でやっていくとともに、できるだけ今のうちに調べておきたい、まとめておきたいと、資料を集めるようになった。
 次の写真は、「おさんばいさん」という行事である。田植えの前に水のかけ口の所に、ああいったようにカヤでちょっとした物を作り、お米とかお酒とかを供える。こんな行事が二十何年前にはあった。ところが現在はもう廃れてしまった。これがまあ、現状である。私は大事なものだということを何度も申し上げたが、村内の方は全く耳を貸さなかった。今日講演いただく小木先生のような偉い学者の人が、これを声を大にして言われると、これは間違いなく大事だということで、協力していただいただろうと思うが、まだ若い時分の私のような者が、そういうことを何回言ってもなかなか耳を傾けていただけなかった。
 そこで考えたのが、このような行事を積極的に見つけ出して、新聞社へ売り込んでやろうということであった。積極的に「何月何日何時ころにこういった行事があるぞ。」ということを売り込んだ。新聞社としても、ローカル的なニュースがほしいということがあって、十分応(こた)えていただき、記事になる。そうすると、出た人が親戚(せき)とか知人の方へ連絡をし、それが一つの評判になるということで、次々と広がって、喜ばれた。それが次には新しい発見につながるし、またある程度の保存につながるのではないかと思い、やってきた。これが果たして正解だったかどうかについてはわかりかねるが、そんなこともあった。