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わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~

◇制作のポイントと内容

 東川における生活文化の変遷と戦争の影響に、制作のポイントを置いた。具体的には、昭和という時代が、かつてない変動の時期であり、江戸時代から全然変わらなかった地域の生活様式、生活文化が、急激に変わった時代だった。しかも、その変動は今も進行しているという認識で、集落を見てみようとした。
 一つは、戦後の生活様式の変遷が、私たちの地域にどのような影響を与えたかということである。特にこの東川の人口動態等からわかるように、昭和35年から45年にかけて、急激に集落の人口は流出した。この流出人口は労働可能人口であり、一人の流出によって一家の子供も全部出てしまい、急激に人口が減少した。なぜこれほど出て行ったのかという背景はどうしてもつかんでおく必要があると、皆でいろいろと考えていった。
 もう一つは、敗戦の現実をはさんで、集落の人々の考えがかなり急激に変わっている。8月15日を境にしてどんなに変わったかということは、非常に興味をそそられるし、人間本来の問題点を探る上にも必要だろうと、皆で調べてみた。例えば、黒色火薬というのが議事録に残っている。古い家の床下の土を取り、水に溶かして濾過(ろか)した後、焚(た)いて蒸発させると一握りの火薬が残る。これを、敗戦の1か月ぐらい前に供出の命令が出て、皆文句を言わずに従っている。ところが終戦後の9月の常会では、この代金を請求し始めており、皆がかなり強烈な意見を出して、討論をしている。そういう著しい変化が他の面でも見られ、皆で苦笑いをしながら、まとめていったこともある。
 『ふるさとの昭和史』の内容は、地域の産業、教育、文化、民俗など、いわゆる生活文化一般について各項目を設定し、それらが昭和に入ってからどういう形で変遷したかという変化の過程を追った。特に過去40年間に、伝統行事とか年間の通過儀礼的なものなど、地域が失ってしまったものが非常に多いと私たちは感じ、これはなぜだろうかということをいろいろと調査した。
 次に、太平洋戦争(第二次世界大戦)が地域にどんな影響を与えたかということを、五つの項目を設定し、それぞれ調査をした。
 まず「太平洋戦争への傾斜」という項では、昭和12年の日中戦争から後の、いろいろな集落内の状況を調査した。昭和14年には、すでに防空訓練、銃後報国会費、入営兵士の遺家族への勤労奉仕とか、集落総員が神社へ戦勝祈願に毎月行くことなどを集落の中で決定しており、だんだん太平洋戦争に傾斜していく集落の様子が、よく現れていた。
 二つ目の「戦争と東川」という項では、常会で取り上げられている議題・議論を中心に、戦争中の東川の状況を調査した。通常は年間に数回しか開かれない常会が、昭和17年から19年にかけては、年に30回から33回と増え、月に2、3回のペースで回数を重ねて開かれている。そのくらい頻繁に意識統一を行わなければ集落の維持ができなかったという状態を、読み取ることができたように思った。
 三つ目の「時代を見る言葉」という項では、その時代がわかるような言葉を集めた。食糧増産、配給、供出、戦時国債、出征、非国民、一億玉砕、灯火管制、防空訓練、松根油といったような言葉について、その意味と、それについての論議も含め収録した。
 四つ目の「その時私は」という項では、昭和20年8月15日という敗戦の当日の状況について、集落全戸を対象に行ったアンケート調査の結果をまとめた。その時の家族構成、収入の手段、食事情の実態等を調べるとともに、その日に何をしていたか、敗戦を聞いた時にどう思ったか、などを聞いて調査をしたもので、年代によって大きく違い、非常に面白い結果が出た。
 五つ目の「私の昭和」という項では、世代別に集落の7人の方から、個人の昭和史を書いてもらった。