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わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~

◇農林業は、初めから自然と共生

 岡です。私は久万町の畑野川で、農林業で生活をしております。林業が本職なんですが、男の人を二人雇って、手伝ってもらっていますので、私は、冬の間だけ林業をやって、3月から11月半ばまでは、農業を一生懸命やっております。農業のほうは、1haの水田(お米づくり)と、延べ面積(*1)4haほどダイコンを、女の人5人ほどに手伝ってもらってやっております〔*1:作付面積。ダイコンは50~60日で収穫できるので、2度作付けする畑もある。〕。お米のほうは、1ha作っても、実際の収益は、水の管理とかあぜ草刈りなどの手間賃も入って50万円ぐらいしかないんです。中学校を出た女の子が農協へでも勤めて、お弁当を持っていったほうが、何倍ものお金が取れるという状態です。
 私は長男でしたので、学校を卒業して、素直に家を継いで、農林業を始めて30年になります。素直に跡を継いだのは、父親が戦争で行方不明のような形で戦死し、母親も病気で昭和39年に、48歳の若さで亡くなりましたので、学生だった二人の弟のためにも、自分が家で働くしかなかったということです。
 そしてもう一つのきっかけは、畑野川中学校を卒業すると同時に、叔父の勧めで、福岡県早良郡(さがらぐん)にあった、九州農士学校に入学したことです。
 ちょっと余談になりますが、この学校の入学試験に、「三上(さんじょう)と言って、物を考えるのに最もいい場所が三つあるが、それはどこか。」という問題が出たんです。それで私は、風呂場とか、トイレの上とか、枕の上とか、いろいろと考えたんですが、風呂場はじっくり気分を休めるもので、あまり物は考えない。トイレの中では何もできないから、トイレが一つ(厠上(しじょう))。もう一つは、夜寝る前に勉強したり物を考えるには最もいい所だと思って、枕の上(枕上(ちんじょう))。二つは書いたんですが、あと一つは私にはわからなかったですが、正解は馬上。昔の中国の教え(欧陽修『帰田録』)で、馬の上だそうです。こういった変わった学校なんです。
 農こそ国の元なりという時代でしたので、学校の創立者である安岡正篤先生(儒学者)が、農業・農村の将来を案じまして、農村の指導者を育てるために作られた学校でした。そこは昔の寺子屋の教育のような学校で、「農士」と言いますが、農業のことはほとんど学ぶことはありませんでした。お坊さんのような修行の毎日で、厳しい教育を受けました。朝は5時起床、夜は11時半まで黙習(正座して行う読書・習字など)し、11時半からは仏間で、回向(えこう)と言って般若心経を唱えて、それから羽織はかまをたたんで休ませてもらうという毎日で、睡眠時間は4、5時間、朝は太鼓で起床という、昔のお寺とか道場のような学校でした。
 この学校を卒業して、もう一つ、三重県にある愛農会の短期大学へ行きました。ここはキリスト教系の学校でしたので、半分は農業の勉強、あとの半分は聖書を読むという毎日でした。九州では主に、東洋的な学問を学びましたが、ここでは聖書の勉強もしました。讃美歌も歌いました。まだ子供でしたから、夜寝ているとふるさとのことが思い出されるんです。そんな時になると、愛媛県の西村さんが作詞されて今も法華津(ほけつ)峠に碑が立っている「山路こえて」という賛美歌(444番)、「日も暮れなば、石の枕、仮寝の夢にも御国しのばん。」を(御国というのは、神の国ですけれども)、私たちは故郷のことを偲(しの)んで歌っていたわけなんです。
 さて、農林業のことですが、先程言ったように水田のほうはあまり力を入れていません。今一生懸命頑張っているのは、50ha以上の林業経営で、その半分以上は、戦後私が学校から帰って植えたものです。当時は男の人を3人雇っていたんですが、そのお金を払うために山の木を切ると、何年かのうちに大径木がなくなるんで、それをまた植林していかないといけない。山林経営の基本は、持っている山林を等分し、ある年に木を切ったらその区画に植林し、将来その苗木が成長するまで、毎年順々に別の区画を切って植林を繰り返していくという、輪伐経営なんです。30年で切り出せる場合は30町歩(ha)の山林がいりますし、大径木(100年もの)を作ろうと思ったら100町歩の山林がないと、林業経営、輪伐経営は成り立たないのです。
 将来、大径木も残したいということになりますと、それだけ山林の回転周期が長くなるわけですから、ほかに収入を得る方法を考えなければなりません。それで、当時、夏にダイコンを作るようになって、もう20年になるんですけれども、私の子供は、「学校で、ダイコンは夏の作物だと言ったら、笑われた。」と言っております。本当は、ダイコンは冬の作物なんですが、種苗会社が品種の改良を重ねたり、またシルバーという、温度を下げるナイロンのマルチができたことで、夏ダイコンができるようになり、久万高原でも適当なダイコンができたんです。当時、ダイコンはかなりなお金になりまして、「山の木と3人の女の子を、ダイコンを作って育てた。」と、いつも話をする時に言っておりますので、子供がよく嫌がるんです。木材は、最低30年しないとお金にならないので、ダイコンでお金をとって、何とか今までやってきたようなことなんです。
 本日のテーマは、久万町の自然との共生、自然を大切にせよ、ということですが、私たちの仕事、農林業は、初めから共生なんです。一番、自然と仲良くしなければいけない職業だと思っております。
 昭和36年(1961年)に農業基本法ができて、農業が大きく変わりました。そして、お米が余り、減反政策でまた農業の形態が変わりました。休耕田でトマトを作り始め、久万の桃太郎(トマトの品種)は大阪市場でも人気が高く、久万は全国でも有名なトマト産地になりました。また、ダイコンも収入がいいということで、畑のほかに休耕田でも作っております。また、久万は松山などの平地に比べ、昼夜の温暖差が大きいのと、夜露とか朝霧の条件がいいので、花作りにもいいということで、花を作る農家が、ハウスを作って栽培しています。私の仲間が作っている久万のシクラメンとか、カサブランカは、市場ではいつも最高の値段がつくそうです。
 そういったことで、農業は多様化し、収入も増えました。それと最近、中山間農業が活性化ということで、活気付いてきましたので、久万の農業の将来は明るいんです。
 農村の良さというのは、たくさんあります。私は旅行に行くと、「どうしてこの大都市で生活が続けられるんだろうか。」といつも思うんです。私は自然の湧(わ)き水を飲んでいますので、旅館、ホテル、食堂に行っても、お茶は飲みますけれども、水は一切飲まないんです。夜、旅館に泊まっても、騒々しいとか、なんか息苦しいとか、空気自体もおいしくないですし、本当に休めるような気がしないんです。湧き出る自然の水を飲み、静かな緑の中で、澄みきった青空の下で働くことが、やはり今は一番幸せじゃないかという気になりました。そういう年になったんだと思います。
 それから、山村にいれば、本当の旬の物が食べられる楽しさがあります。田舎でくらして、農作物を育てて、いろんな花を庭に植えたり、犬や猫を飼っていると、1日に1回か2回、毎日、大なり小なりの自分でも気が付かないような感動に出会えます。感動のない生活というのはだめで、僕は、そういう点で田舎は恵まれているんじゃないかと思うんです。
 しかし、働く人の高齢化、後継者の問題や、山林、農地の荒廃という問題もあるんです。農業委員会でも、農地の山林転用などがよく出てきております。山に囲まれた谷あいの田や段々の田んぼはほとんど荒れてきて、ほったらかしている状態です。農業に関係してない方はわからないでしょうが、この背景には、減反に対する助成が関係しているんです。極端な例だと、山間の何もできない所なんかは、1年に1回田の草をきれいに刈って、元の田んぼにすぐ返せる状態だったら5,000円の助成があるんです。
 これに関連してもう一つの問題があります。雨降れば、その雨は大地にしみ込んで、草花が育ち、水の保全につながります。ですから農村では、もちろん道路の舗装は仕方ないと思うんですけれど、道路以外はアスファルトとかコンクリートとかを、あまり使わないようにしてもらいたいと思うんです。また川の護岸工事も、川へも下りられないような工事ではなくて、昔のようになるべく曲がりくねって、深みや浅みがあったり、いつでも下りれるような川に、これからはしてもらいたいと思います。そういった小さな事の一つ一つが大切で、その積み重ねが大きなことにつながっていって、すごい効果があると思うんです。
 今年は水不足で、松山のほうなんかは大変苦労されております。実は、先程ちょっと話しかけた、谷あいの水田と大きな関連があるんです。久万町から始まって伊野町(高知県)まで流れる仁淀川は、その水源地の面河村とか美川村とか、途中の山間地にはものすごい山間の田んぼ(休耕田)があると思うんです。私は、農業委員会なんかでもよく皆さんと話すんですが、減反で草を年に1回刈っているというその休耕田に、農家の方に水を溜めてもらうんです。それだけの田んぼに水を溜めたら、降ってきた雨がさっと川に流れないで、ものすごい水量が貯えられ、保全されると思うんです。大きなダム1個ぐらいの効果があると思います。そういうことを皆さんが考えてもらったら、今年のような雨不足、水不足にも、だいぶ耐えていけるんじゃないかと思うんです。
 さらに、そのように水を溜めた田んぼには、消毒もしないから、トンボとかホタルとかがたくさんはやって、益虫がたくさん増えていくんじゃないかと思います。