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わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~

◇和紙のおかげで史料王国に

内田
 実は日本は、世界に例を見ない史料王国、歴史の史料がものすごくよく残っている国だと言われているんです。一番古い史料だろうと思われる奈良時代の『百万塔陀羅尼経』というものも、今日に伝わっている。その材料は、やはり和紙なんです。
 もう一つは、近世と言われる時代の文書。織田信長は全国統一の途上で倒れますが、そのあと豊臣秀吉が全国統一をして、江戸幕府に引き継がれていく。この時期から明治までの300年近い時代である近世のことを、歴史用語で「文書主義の時代」と言います。
 今日でも皆、役所では必ず申込書類を書いていろんな届け出や請求をしますし、役所からも証明や通知の書類をもらう。このようにお互いに文書を用いてやり取りすることを文書主義というのですが、これは信長や秀吉の時代からあり、支配者側が命令を下す時にはほとんど文書でしますし、受ける住民側、農村であれば庄屋も、それに対する返事も文書で行い、また同時に記録を必ずとっています。年貢関係の帳簿類や領主側の受け取り、土地台帳、領主の命令に応じて人を人夫に出す件や村の運営に関する文書も、全部そうやって徹底して記録を残すんです。実は庄屋の務めの一つに、その村で作ってきた記録を保存するという役割があるんです。ですから、庄屋文書というのは、近世の初めからその村で作ってきた主要な文書群であり、本来は歴代残っていなければいけない(それが連綿と残っている庄屋さんというのは、もちろん実際にはないわけですが)。
 なぜ、村の庄屋さんに記録保存をさせたのか。実は、将来、隣村との境界争いや水争い、領主との年貢の取り方をめぐる争い、その他のいろいろな争いや行き違いが出てきた時に、庄屋文書が証拠書類として出されるわけであります。そのために必ず記録を保存し、その家が庄屋をやめて別の家に庄屋が移る時は、必ず文書を引き継ぐということが行われたのです。村には必ず庄屋さんが一軒ありましたから、日本の全国にわたって、膨大な数のそういう記録文書が残っているんです。そういうことで、日本はすごい史料王国であるということになるわけであります。
 もう数年前ですが、京都の冷泉(れいぜい)家に平安時代以降のすごい記録が残っていたというのが、大変話題になりました。これは、貴族の家が家職(その家の職業)としていたもの、今日で言えば古典の域に達するようなものが、やはり大事に保存されていたということになるわけです。このように、人知れず眠っていた大変な意味を持つ記録が、ポコッポコッと出てくる。古文書の多くは、明治維新以降の一定時期と、第二次世界大戦の後に大量に世間に出ましたが、そういうブームが去ったあとも、あの冷泉家文書のような形で突然世間に知られるということもあるわけです。
 私は今、伊予三島市にある今村家の絵画史料の整理をさせてもらっています。絵は、和紙に書く場合(紙本)と絹に書く場合(絹本)があります。絹本のほうは動物繊維ですので、絹そのものに寿命があって、一定の年月がたつと劣化が急速に進み、自分でボロボロになっていくんです。先輩から受け継いでいる話では、絹というのはだいたい400年たつと力がなくなると聞いております。ですから、昔の小袖(こそで)などの衣装類は、きれいに全形を保ったままで現存しているのは桃山時代ぐらいまでが限界で、それより古くなりますとせいぜい断片が残っているくらいという状態です。絹の製品は、極端に少なくなるんです。その点、和紙は植物繊維で、しかも動物繊維的な余分なものは一切加えませんから、寿命が全然違う。
 つまり、私たちの国はすごい史料を残してきたということですが、基本的には、それらのほとんどは和紙に書かれたものであります。ですから、世界に例を見ない史料王国を支えてきたのは実は和紙だと、私は思っております。
 私たち歴史を研究している人間は、今までは、文書の墨で書かれている字の部分、中身の理解に、最大の力点を置いてきました。たとえば、秀吉とか信長の朱印状がありますと、何を書いているのか、本物か偽物かということを、基本的にはだいたい文字から判断をしていくんです。残念ながら、その文書が書かれた紙そのものの研究というのは、進んでおりません。実は今日に至るも、その紙そのものが当時のものかどうか、どこで作られたものか、などを確定する科学的技術を持っていないんです。したがって、歴史学における文書の研究というのは、対象物の半分(書かれている文字)しか使っていないということになるわけです。土台になっている紙は、残念ながら今まで研究する方法を持たなかったということです。しかし、今後そういう研究を進めるための端緒はできてきております。非破壊的な方法-史料そのものを破ったりしなくて-その紙の特質をはっきりさせる研究が進められております。いずれそういう時代がくると思って、大変期待をしているわけです。
 以上、28~29年古文書と付き合ってきて、史料の宝庫を支えた和紙というものがありながら、実はその和紙の研究が進んでいないというふうに、私は感じております。
 これから野村先生のお話を聞きますが、その中で、そういう和紙に関する調査研究を進めるきっかけを、つかんでいけたらと思っております。
 それでは野村先生、よろしくお願いいたします。