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わがふるさとと愛媛学   ~平成5年度 愛媛学セミナー集録~

2 発掘当時の遺跡の状況

(1)住 居

 四国銀行御荘支店仮店舗跡地の民有地を銀行が借り受け、駐車場として整備されるのに先立ち、埋蔵文化財の緊急調査をした。洪積段丘が南西方向にゆるやかに伸びた舌状地形に残された貝塚で、調査の場所はその頂部で標高8mあり、日当たりの良い眺めの非常にいいところである。
 竪穴住居は見つかるとは思っておらず、たまたま住居址に出会ったことは幸運であった。広場には住居址と貯蔵穴があり、斜面のやや下ったところに貝殻が集積していたが、一般に言われる1m近くも貝殻が積まれてはおらず、貝層は薄く30cmくらいであった。
 貯蔵穴は南西の斜面にあって、底には土器のかけらが敷きつめられていた。どんぐりが100個ほど見つかった。これは、たまたま火を受けて炭化していたために残ったのであるが、当時の植物食料の一つであっだろう。

(2)人 骨

 人骨は3体出て、1体は不完全、1体は4歳児のもので、1体が完全な形で出土した。完全人骨の身長は1m30cmほどで、鑑定により14~15歳の女性とわかった。縄文時代の埋葬法は普通はうずくまった形の屈葬であるが、これは仰向けにまっすぐ手足を伸ばして葬られていた(仰臥伸展葬(ぎょうがしんてんそう))。人骨が出た時は本当に驚いた。辻内課長さんが、たまたま「へら」を入れると頭頂部がぽこりと出てきて、あわててそこから下の土を丁寧に除いていった。
 胸の上には、にぎりこぶし大の石を100個ほど山のように積み上げていた。ある本によると当時の人々の死者に対する恐怖心によるものではないかとされる。近くに獣骨や魚骨も出てきており、今で言うお墓参りのような形で、お供えをしていたのかもしれない。