データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

わがふるさとと愛媛学   ~平成5年度 愛媛学セミナー集録~

3 今治らしさの背景の変化

(1)交通事情の変化(瀬戸内海航路の消長)

 横浜は西欧貿易中心、神戸はアジア貿易中心。戦後、アジア貿易に比べ西欧貿易が盛んになると、神戸、大阪の経済的な地盤沈下が始まり、アジア貿易の船が多く通っていた瀬戸内海、今治も、同じような地盤沈下をみた。

(2)産業構造の変化

 産業構造の変化は交通事情と一緒。今、運輸業界で一番強いのは、メーカー中心でなく、消費者に一番近い宅配業者。トラックで、ドアからドアヘ行けるので強い。積み替えが必要な船・JRは、落ちぶれてきた。同様に消費者中心で、少量多品種の生産方式に変わると、大変な設備投資をした大型の所が小回りがきかないから、労働力の安い開発途上国にだんだん追い上げられてくる。

(3)情報化による変化

 今治を取り巻く環境は、どんどん変わってきている。物を作るのに、昔は「資本と労働」だけで良かったが、今は「資本と労働、プラス情報」の時代である。今、世界で一番情報が集中しているのは東京で、その情報を得るために、本社を東京に持って行く。一方、労働力が豊富で安い所へ工場は分散する。今治は空洞化していく。
 今治は、一言で言うと「専門店」になるべきだ。「何でも屋」から、特定の地域としっかり結ばれた専門的な貿易港を目指す傾向が、各地で見られる。下関は昔から朝鮮との貿易の専門店だったし、福岡市・長崎市はアジア貿易、新潟市はロシアとの貿易、函館は沿海州とハバロフスク方面との貿易の中心にそれぞれなろうとしている。