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わがふるさとと愛媛学   ~平成5年度 愛媛学セミナー集録~

1 祭研究を始めたきっかけ

松本
 御紹介をいただきました松本でございます。佐藤さんより年長ですので、私の方からはじめに口火を切らしていただきます。私は中萩の出身でございますけれども、今日は皆さんの前に実は初めて立つような、まあ、一面気恥ずかしいですし、一面皆さんと御一緒に話しすることができるだろうか、それほどの知識が有るだろうかと、そんな気持ちで参りました。
 わたしは、20年間この地で生まれ育っておりましたけれども、この地を離れまして今は京都で40年ほど住んでおります。つまり、二つの心が私の中に交錯しております。生まれ育った所の皆様方に、今日もお知り合いの方がおりますし、そういう中で、新居浜で、太鼓台あるいは太鼓台を広げてもっと広い形でお話するというようなことができますことは、非常にありがたいことでありますけれども、もう40年離れているということもありまして、よくはわからないというような部分もございます。あるいは、遠くから新居浜を眺めているという一部分もございますので、そんな二つの心を交錯させながら、皆さんと御一緒にこの太鼓台の問題、さらに広げて新居浜の地域の問題を考えるということにさせていただこうと思います。まあ、ここにいらっしゃる方々は、おそらく祭りに関しては、私よりはるかに良く御存じのプロだと思います。わたくしはアマチュアの立場から、プロの方々にむしろ問題を投げ掛けながら一緒に考えてみたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。

佐藤
 御紹介いただきました、佐藤秀之と申します。まず、最初に臨時採用という形で教員の卵みたいな感じで来たのが新居浜市でした。新居浜の南中学校と川東中学校でお世話になりました。それから採用されて新任地というのが中萩小学校でした。そういうわけで、生まれは西条なんですけれども、新居浜市で育てていただいたという感じをもっております。そういう縁がありまして、『新居浜太鼓台』という本が新居浜市の図書館から出版されたんですけれども、その時にも、ちょうどぼくが新居浜の太鼓合とか、大島のお祭りであるとか、そういった方に興味を持っておりましたので、その執筆陣の中にも加えていただいたりもしました。そういう関係で、今日この場で「祭を語る」という所に、こういう若輩者でございますけれども、皆様と一緒にいろいろ考えていきたいと思います。
 新居浜市民にはない、わりと横から見る客観的な目というのも出るかもわかりませんけれども、そういった点でもよろしくお願いいたします。

松本
 私は実は昨年、同志社大学の学生8名と一緒に参りまして、それぞれの自治会の方々の御好意によりまして、太鼓台の祭りをいわば外から見学ないしは観察するという機会を持ちました。数年前から、私の同僚たちで「祭りを考える」という研究会を開いて、特に最近の祭りの変化という部分と、今までの祭りの研究の仕方に新しい角度を入れることができるかどうかというような課題とを、自分たちに投げ掛けながら始めたわけでございます。
 私は、体験的には新居浜のお祭りをいくらか知っております。そしてまた、小さい時の記憶として、西条の祭りもいくらか分かります。そんなこともございまして、新居浜の太鼓台をもう少し今言った考え方からして調べてみよう、そして、考えてみようということで昨年伺ったわけであります。
 実は既に、新居浜市の図書館から『新居浜太鼓台』という大きな書物が発行されております。予備知識が断片的にしかない私にとりましては、この書物は、非常にいい書物をまとめあげられたと思いますし、関係者の方々に対して深い敬意を表したいと思います。この書物は、新居浜太鼓台を新居浜だけに留めないで、もっと広く瀬戸内の中でそれを位置付けられて、さらにはその瀬戸内を通しての太鼓台ないしはだんじりの分布が示され、あるいは太鼓台における実に細やかな仕組みと、それに見られる華麗な装飾、そういうものが書かれていて、おそらく、今太鼓台に関する研究の最高水準をいかれた書物であろうというふうに思います。
 しかし、これだけが太鼓台の研究であろうか、というふうにも一面思います。つまり、角度を変えますともっと違う事柄が浮かび上がってはこないだろうか、こんなような思いをもっております。
 それで今日は、その新居浜太鼓台を、その優れた書物を土台にしながら、一つは、その太鼓台をめぐる祭りに非常にお詳しい佐藤さんに、改めていろんなことがらを私からお聞きさせてほしい。それから、私の方からは、さらにこれを発展補充することができる角度として、こういうものがありはしませんかということで、皆さんに問いかけて見たいというふうに思います。
 そういうことで、前半は、佐藤さんに主に祭りに関しての今までの御研究、ならびにその研究をとおしての祭りの現代におけるいろんな変化の内容、そして、祭りを研究することが、現代のこの社会の中で、どういうような意味をもつということになるのかを中心に、お尋ねさせてほしいと思います。それで、裃(かみしも)を着た前口上はそれだけにしまして、ざっくばらんに、今からお話をさせていただこうと思います。はじめに、今まで御研究を続けている佐藤さんに、お祭りへの興味は、どういういきさつで、それにかかわり取り組まれ、そして今日に至ったのか、そこらあたりから始めさせていただこうと思いますが、いかがでしょうか。

佐藤
 はい。愛媛学ということで紹介があったんですけれども、僕がやってきたのが、そんなに「学」がつくようなすごいもんかな、というような疑問もあるんです。やはり、だれでも参加できる、だれでも調べていける、そういった学問が愛媛学だろうと思います。
 僕は、西条市民で西条に生まれました。生まれたときからだんじりを見て育ってきましたので、いろいろやっていくうちに、興味をやっぱりもってきます。これはちょうど、新居浜の人が太鼓台に興味をもつと同じように、だれもが生まれ育った祭りというものには非常に興味をもつと思うんです。小学校の高学年ぐらいになってくると、今の子供がJリーグの選手のことをいろいろと言うような感じで、ぼくたちは、あそこのだんじりはどんなとかこんなとか、そういった話を小学校の高学年ぐらいの時に言い合いをしていました。
 中の彫り物の題材がどんな内容であるとか、いつごろできただんじりであるとかいうことを知りたいんですけれども、そういうことを知るためにどんなにしていったらいいのかな、まず、そういうことを書いた本がないんだろうかなあと思って探していました。実際、そういっただんじりの本は全くありませんでした。新居浜太鼓台の本というのも、今度本格的なものが出るまでは、おそらくなかっただろうと思います。
 それで、僕たちが中学生になりまして、ちょうど学校にあった郷土研究クラブを僕たちの仲間で乗っ取りまして、実質「だんじり研究クラブ・祭り研究クラブ」にしました。そして、その肩書をもって、失礼なことを省みずにいろいろとお年寄りの所を聞いてまわりました。今も、お年寄りの方というのは本当に生き字引で、いろいろなことを知っとると思います。そのことがそのまま消えてしまったら本当にもったいない話ですので、僕たちはテープレコーダーを持ったり、ノートを持ったりして世話人の方を尋ね歩きます。行ったら、また、その知り合いの人をいろいろと紹介してくれます。わりと祭のことになったら熱心なんです。皆さんが、帰れ帰れやか言うんじゃなくて、逆におうちに上げてくれてお茶もお菓子も出してくれて、なんか孫でも訪ねてきてくれた感じで、お祭りの昔話をしてくれます。
 僕たちが中学生のころのお年寄り、その時80歳くらいの人というと、まだ明治時代の記憶があった人で、明治時代のお祭りの様子、そしてまたすごいなあと思ったのは、そのおじいさんがそのお父さんやおじいさんから聞いたという江戸時代の話をしてくれました。だから、僕はちょんまげ結って刀を差した江戸時代やかいうのは、ものすごい昔の話じゃなあと思いよったのに、実際行って見ると、眼の前にいるお年寄りから、そんな江戸時代のことを見てきたように、例えば「西条高校のもとの御殿のところで、将棋倒しとかいって、一人おじぎをしたら家来がさらさらさらーとずっと全部、神さんに向かっておじぎをしてまわった。」とかいうような話なんかもしてもらったり、非常にありがたいなあと思ったりしました。
 そういったことから祭りに興味を持っていく間に、いろいろ調べためたものができてきまして。そしたら、うちのおやじが「どうせ貯めたんだから、ちょっと印刷してみたらどうぞ。」というような感じで、今年亡くなった秋田忠俊先生が主宰されておりました「伊予の民俗の会」の『伊予の民俗』という本の中に、僕の高校生の時にまとめただんじりのことを載せていただいた、そのことから、だんだんと広かっていきました。
 そして、仕事についてからなんですけれども、西条のだんじりだけやっていると、西条には御輿といって太鼓台みたいなやつもあります。それから、おいずみさん(飯積(いいずみ)神社の通称)へ行くと、太鼓台、これはもう新居浜と同じ形のやつですが、そういったものもありますし、全国各地からいろいろとやり取りなんかもできてきます。そういう中で仕事についたら、たまたま仕事場が新居浜だった。新居浜へ来ると、子供たちもだんじりの話やかじゃ関係ない。子供たちの中にもまた、郷土クラブというのがその時ありました。「あっ、僕らがやりよったんと同じじゃな。これ、いっそのこと太鼓クラブにしたったらどうだろか。」と思って、中萩小学校でも、かなり太鼓台のこともやっていき、太鼓台にも関心が広がっていきました。すると、面白いんです。先程先生が言われよりましたように、新居浜だけじゃない、西条・新居浜のこの道前地方だけではない、川之江や宇摩郡のほうから、讃岐の方、大阪の方、瀬戸内海全体、もっと広く西日本一帯言うていいくらいに、太鼓台というのが広がっています。そんなふうに、関心がますます広がって、仲間が仲間を呼んできます。そういった中で、僕たちの太鼓台、それからお祭りに対する、素朴な学びというかそういったものが出てきたと思います。
 そして、ちょうど新居浜の川東中学校にお世話になっていたとき、新居浜の大島へ初めて行きました。大島へ一番最初連れて行ってくれたのが、「とうど祭」でした。とうど祭は、たしかにそうとう有名なお祭りで、みんなよく知っているお祭りだったんですけれども、実は、大島に秋祭りが細々とあるということを、ぼくはそれまで知りませんでして、行って見ると西条のだんじりとそっくりなものが出ているわけです。それどころか、いろんな建築の細部なんか見ると、江戸時代に相当栄えた島であるだけあって、ものすごく装飾品なんかも凝った、たいへん立派なものでした。そのことから、また大島の祭りへ興味を持っていって、これまた、調べていったらどうかな、と思った。まあ、そういう感じで関心が深まっていったわけです。

松本
 なるほど。今お聞きして、さらに二つのことをお伺いしたいと思います。一つは、祭りについて、小さいときに興味をもつ、あるいは初めの興味がずっと続いている、というような言葉がございましたが。
 それから、もう一つお尋ねしたいと思いますのは、祭りの中の何に興味をお持ちになったのだろうか、ということなんです。
 それで、私も振り返りましたら、小さい時になんとはなしに抱いた素朴な興味が、その後の自分を大きく方向付けるというようなことがよく感じられますので、その小さい時に、佐藤さんが、どういう興味をお持ちだったのかを、ちょっとお尋ねしたいと思います。

佐藤
 やっぱり、子供というのは格好いいものに憧れるんだろうと思います。太鼓台はものすごく格好いいと思うんですけれども、おそらく大部分の新居浜の市民の方が、太鼓台は格好いいものだと思ってとらえとると思います。僕たち西条の人間も、だんじりというものは非常に格好いいものなんだというふうにとらえてまして、「強くて、格好いいもの」いうことで、まず興味を持ちました。
 そして、その中でも、彫刻の題材なんかに使ってる歴史ものみたいなのがわりと好きなかったわけです。太鼓台でもいっぱいある竜の飾りとか獅子(しし)の飾り、これもまた、その絵を描いてみたい、いかに本物とそっくりに、だれも竜の本物を見た人はないんですけれども、太鼓台の刺繍(ししゅう)とか彫刻とかの竜にできるだけ近付けて自分でも書いてみたい、こんな興味を持っていました。
 それから、太鼓のたたき方、こんなのも実際に自分が上手にたたいてみたい、いろいろ聞くとたたき方も何種類もあったという、これをお年寄りからいっぱい聞いてみたい。そういった興味も持っていました。そんな感じで、興味も数限りなく、出てきていたわけです。