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宇和海と生活文化(平成4年度)

(1)地域に生きる二宮敬作

 ア 磯崎(いさき)によみがえる二宮敬作

 伊予灘に面した佐田岬半島の付け根に保内町磯崎がある。磯崎は古来、伊予灘南岸における交通上の要衝の一つであった(図表4-1-1参照)。
 文化元年(1804年)5月10日、磯津(いそつ)村磯崎浦に一人の男の子が生まれた。敬作と名付けられた男児はすくすくと育ち、のち地域の人々にこの上なく敬慕された蘭方医となった。
 その人こそ幕末の日本に大きな足跡を刻んだ二宮敬作である。
 二宮敬作がこの世に生をうけてから187年後の平成3年5月10日、磯崎の丘の上に新しく築かれた二宮敬作記念公園において二宮敬作像の除幕式が行われた。この事業は、政府による「みずから考え、みずから行う地域づくり事業」(通称、ふるさと創生基金)を基に、地域の活性化のため保内町挙げて取り組んだものであった。
 写真4-1-1の二宮敬作像は、愛媛大学教授石井南放(いしいなんぽう)画伯の手になる二宮敬作肖像画を基に制作されたものであり、銅像の台座には保内町長菊池善治氏によって次の選文が刻まれた。

   「二宮敬作翁は若くして志を立て 苦学をかさね 西洋の学問を修めた先駆者である。恩師シーボルト 美馬順三(みま
  じゅんぞう) 高野長英(たかのちょうえい) 大村益二郎(おおむらますじろう) イネ等との人間愛に支えられた親交は特
  筆すべきことである。また、その卓越した技量と暖かい人間性は人々から医聖として敬愛され 訪ねる青年には広く知識
  を世界に求めることを教示し 日本の開明文化に大きな貢献をした。(中略)
   翁の偉業をしのぶことは 保内町の誇りであり 後世に顕彰するため この像を建立する。 1991年 3月吉日」

 二宮敬作像の除幕は、地域の人々の拍手の中で磯崎小学校を代表する5人(6年生)の手によって行われた。除幕式のアトラクションでは、「二宮敬作の歌」が磯崎小学校の児童によって声高らかに合唱された。

        「二宮敬作の歌」
            作詞・作曲 妻鳥堯寛
   一 磯崎の春の波しずか
     やさしい心で人々の
     やまいをなおし励ました
     愛の人 ああ 愛の人
     敬作先生
     わがふるさとの誇りです
     偉業をたたえ学びます
   二 磯崎の冬のしお風の
     きびしい心で日本に
     文化のあかりつけました
     信の人 ああ 信の人
     敬作先生
     わがふるさとの光りです
     教えをまもり励みます
     教えをまもり励みます

 イ 児童の心に生きる二宮敬作~磯崎小学校の教育を支える

 二宮敬作の歌は、磯崎小学校の体育館の正面に校歌とともに掲げられ、学校行事の度に全校児童によって声高らかに歌われている。また、磯崎小学校の校門の横には二宮敬作翁顕彰碑が建てられている(写真4-1-2参照)。この顕彰碑は昭和35年(1960年)3月、当時の磯津中学校生徒会(現在は保内中学校に統合)が発案し、廃品回収の資金で建立したものである。また、校長室には石井南放画伯の手になる二宮敬作肖像画が掲げられ、肖像画の下には当時の磯津中学校長による「顕彰由来」が大きな木板に墨こん鮮やかに書かれている。この木板は、当時の生徒会長が背負子(せおいこ)姿で校長とともに出石寺(しゅっせきじ)に登り、院家老師から顕彰由来用に頂いた杉板であった。
 このような二宮敬作に対する磯津中学校の師弟たちの熱い思いは、今日の磯崎小学校の教育実践に継承され脈々と生きている。
 次に地域とともに学校挙げて取り組んでいる磯崎小学校の教育実践を紹介する。

(ア)児童会活動…二宮敬作生誕記念集会~毎年5月上旬(5月10日が生誕日)
 6年生が二宮敬作について調べた内容を紙芝居の劇に創作し、全校児童の前で上演して二宮敬作の生き方を学んでいる。
 二宮敬作忌の集会~毎年3月上旬(3月12日が忌日)に実施。平成3年度は「二宮敬作のふるさと」と題したビデオ(愛媛県文化財保護指導員、丸山国夫氏が作製)を保護者とともに全校児童が鑑賞し、二宮敬作の生き方を学んだ。

(イ)演劇発表活動…磯崎小学校は、平成元年11月8日、愛媛県県民文化会館で行われた第3回地域生活文化研究発表大会において「ふるさとの偉人二宮敬作に学ぶ」と題した劇を発表し、努力賞を獲得した。発表大会における磯崎小学校5・6年生の熱演は大変な好評を博した。同校は、この発表のねらいについて「幕末の動乱期、シーボルトに師事し、優れた蘭医として名をなした郷土の偉人、二宮敬作について研究することで、ふるさとを誇りに思い大切にしようとする心情を育むことができるのではないかと考えた。(中略)その後、卯之町の人々は、町医者として彼からうけた恩恵に対して、大きな尊敬をいだき、また、故郷の人々は、敬作と同郷であることを大いに誇り、後々まで、彼の業績を語り伝えてきている。この磯崎から第2、第3の敬作がうまれることをねがって……」と述べている。
 この劇は、同年5月、西宇和郡へき地教育研究大会においても発表された。さらに、三学期の学芸会には保護者や地域の人々を招いて上演し、人々の感動をよんだ。

(ウ)奉仕活動…毎月10日、学校あげて二宮敬作公園の清掃奉仕活動を行っている。

図表4-1-1 二宮敬作関係略図

図表4-1-1 二宮敬作関係略図


写真4-1-1 二宮敬作像

写真4-1-1 二宮敬作像

保内町磯崎。二宮敬作公園。平成3年5月建立。平成4年7月撮影

写真4-1-2 二宮敬作顕彰碑

写真4-1-2 二宮敬作顕彰碑

磯崎小学校門横。昭和35年3月建立。平成4年10月撮影